かわち野第11集
巡礼の旅
西村 雍子
この旅は、わが国で有名な西国巡礼の旅ではなく、カトリックの世界的な教会を巡る旅である。
ある日曜のミサ聖祭の終わりに聞いた司祭の誘いの言葉が耳に残った。
「2024ルルド春の巡礼―― フランス巡礼の旅へ行きませんか? 詳しい説明案内書が掲示板の下に置いてあります」
巡礼の旅は初めてであり、昨年主人をなくし、五月に一周忌の追悼式を終える。六月三日出発。十日までの旅である。参加応募しよう! 七日間を祈りの旅にしよう。
今がチャンスだ! 巡礼四ヶ月前の決断であった。体調、円高、旅費、パスポート申請と……。決断は早かったが、旅行用ケースはあるのか? 準備が大変そうである。一緒に参加される方が一人傍にいて下さり心丈夫であった。
旅の呼びかけの神父様が同行者である。 心配なのは、自分が皆さんの足手纏いにならないだろうかである。日頃お世話になっている医師に尋ねた。
「一人でなければ大丈夫です」と答えが返って来た。四ヶ月の準備期間は充分であった。
ちょうど三十年前、友人とヨーロッパ旅行に出かけた思い出がある。難波駅からラピートに乗り、関西空港へ。主人は難波駅まで来て送ってくれた。十七年前には河内長野駅前からリムジンバスで空港まで行き、娘二人とサイパン旅行に出かけている。
この旅に一緒に行って下さる友人は、イスラエルから帰ったばかり。旅慣れておられる様子である。お年も私より十歳ほど若い。
「あなたと一緒に行けて嬉しいです」と何度も言われる。(此方も同じ気持ちです)
いよいよフランスへ旅立つ日が来た。空は快晴。二人はスーツケースと手荷物、ウエストバッグの出で立ちで関空に立った。
第一ターミナル4F国際線出発フロアーEカウンター前の集合場所には、同行者の春名神父様、旅行会社の見送りスタッフ松村様他、参加者数名の方の顔が見えた。
搭乗手続きはATMで、私達には無理。神父様にお願いした。次は日本円をフランス通貨に交換する。両替所でユーロ紙幣を手にしたが、昔はフランだったと思い出した。
旅行参加の申し込みから出発迄、いろんな方にお世話になった。ヨーロッパ・カトリック聖地巡礼センター、旅行業者の株式会社コムユニティワールドからは情報資料や説明案内書が何度も送られてきた。日本全国、北海道から九州までの参加者二六名を一堂に集めての説明会は無理であろう。参加者皆に資料説明書が送られたのだ。
エールフランス航空 AF291便 関空発一一時三〇分。空の旅は難なく始まった。
途中、「ロシアの空は飛べないので逸れて通過する」と放送がある。ああそうなのだと不確かな納得を頭がする。遠回りをするのだ! 全ての旅客機が燃料と時間を無駄にして!
フランス到着までは、日本時間。点眼、内服薬、食事、祈りは腕時計に従い行う。機内は快適であり不足はないが、次第に足が冷えだした。通路を歩いたりして保温に努める。 座席の前のテレビには好みの映像が映し出され退屈しないが、会話もない個室状態の気分である。周りを見ると、皆同じような状態だ。不自然であるが、機内ではこれが自然なのだ。
パリ・シャルル・ドゴール空港に到着。国内線へ乗り継ぎ時に、成田発のグループと合流。到着が遅れ、時間待ちあり。エールフランス航空でパリを発ち、トゥールーズブラニャック空港到着。辺りはすっかり夜になっていた。
此処から上田神父、アンリ神父、現地スタッフ吉開さんが同行し、バスは動き出した。ホテルへの到着は約二時間後、深夜である。ルルドへ向かうバスの車窓からは、山の中なのか何も見えない。
ルルドはフランス南部に位置し、スペインとの国境の町であり、世界の聖地である。
巡礼二日目。目覚ましが鳴る時刻は5時30分。昨晩フランス時間に時計を合わせた。ホテルは、日本の簡易ホテルさながらの二人部屋。洗面、浴室にトイレが寝室の横に並び、部屋の壁には薄いテレビが掛けてある。
急いで支度をして食堂へ降りる。日本の旅行者のために、広い部屋の隅に長いテーブルが二列設えてあった。外は晴天。気温は六月、いや五月の爽やかな感じに思えた。
今日は終日、ルルド聖域内を巡礼する予定である。そもそも何故、フランスの片田舎のルルドが聖地とされ巡礼地となり、世界各国から多くの人々が集まるのか?
それは、ベルナデッタと呼ばれる少女が、1858年2月11日から7月16日までの間に体験した出来事から始まった。
聖母マリアが彼女の前に姿を現され、言葉を交わされたという事実──。18回にもわたる「ご出現」があり、150年の歳月を過ぎた今も、昨日の事の様に語り伝えられているからである。
ホテルを出る。昨晩は全く目に出来なかったルルドの小さな町。大型バス1台がやっと通れるほどの道の両側には、不思議にも同じような品物を売る店がずらりと並んでいる。これで商売が成り立つのか! その道は緩い坂で、目指す大聖堂のある聖域内へと続く。
坂の終わりに立ち、目にしたのは大聖堂に向かって建てられた朝日に輝く冠をつけた聖母マリア像! 聖域は広く、こちらの木立と向こうの木立との真ん中に立つ【冠の聖母】である。聖母像と対面するように、ロザリオの広場を挟んで、大聖堂が悠然と、静けさの中に光り輝いて目に飛び込んできた。あぁ! 私は今、聖地ルルドの地に立っていると実感した瞬間であった。
山を切り拓いて、徐々に立派になっていった、聖なる建造物である。一番手前には地下聖堂がある。午後4時から日本語のミサが捧げられる。
二番目にロザリオ大聖堂があり、その上が高い塔のそびえ建つ、無原罪の御宿り大聖堂である。しかし正面から見ると、山の斜面を順に上へと建てられているので、一つの壮大な大聖堂に見えているのも凄い!
観光の旅ではない、巡礼であり、祈りの旅の本番が始まる「十字架の道行き」。キリストが十字架を担ぎ、刑場まで歩かれ、死に至るまでを石の彫刻で表した一五か所のレリーフの前で祈り、歩を進める信心行を終えた。
次に有名な泉から湧き出る水を身に受ける場所へ。この水は今日まで、多くの奇跡、病が癒されることで有名である。私たちも順番にその水を受けた。
ホテルにて昼食の後、午後はベルナデッタ博物館へ。ベルナデッタの生涯が年代を追って造られ、さもそこにあるように見ることが出来た。
次はピオ一〇世地下大聖堂〔面積12,000㎡、長さ191m、幅61m。2~3万人を収容できる大聖堂〕を見学する。
聖母出現100年を記念して建てられ、世界最大建築物の一つとされている。ノアの箱舟をイメージして、天井が船の底の様になっている。1958年3月25日に献堂式が行われた。地下にあるため、外とは全く違った静けさと安らぎを感じた。
午後4時からのミサは地下聖堂(一番手前の聖堂。地下ではない)へ。邦人巡礼、我々のための日本語のミサが捧げられた。
夕食をホテルで済ませ、7時からは、大聖堂の前から聖域を1周するロウソク行列に参加した。聖歌を歌い、祈りを唱え、3人横列位で進む、各国の巡礼者の行列である。車椅子の人、支えられての人、子供、老若男女、聖職者の大行列。各自、手にロウソクを持ちながらの行進は見事としか言いようがない。先唱者のマイクの声の後に、群衆の声が続く。2時間近くは経っただろうか、静かに暮れるルルドを体感し、行列は終わった。人々は三々五々、各自のホテルへと向かう。
ルルド巡礼、一日目は無事に終了した。
巡礼三日目の朝。今日もルルドである。7時半朝食前に、ルルド洞窟前の祭壇にてミサが捧げられるのである。
2024年春のルルド巡礼の旅巡礼団に、フランス・スペイン聖地巡礼団、ルルド・ファチマ・サンチャゴ巡礼の旅巡礼団が合流して、司祭の数も増え、盛大にミサが施行された。ミサの後、集合写真を撮る。各ホテルへ帰って朝食をとる。
食堂の場所は変わらず、席は自由であり、皿に好みの物をとる。バイキング方式で出され、並べられている。サラダ・肉・果物・スープ。パンは何種類も置いてある。味は私の舌を十分に満足させる物ばかりであった。
今日も快晴に恵まれた。町中を通り、ベルナデッタの生家へ。説明書には水車小屋とあるが、現在ルルドを流れる川との距離は随分離れている。父は粉ひき職人であり、10年後土地代が払えず、牢獄跡へ引っ越している。そこも見に行く。薄暗く汚い住まいであった。このころ、ベルナデッタに聖母出現があったのである。
再び聖域に戻り、ロザリオ大聖堂、無原罪の御宿り大聖堂(上部聖堂)を見学する。昼食後は、聖なる水を土産に持ち帰るため、ペットボトルに汲みに出かけた。通りを挟み建ち並ぶ店にも寄り、幼い孫に赤いバッグとかわいい天使の像を買い求めた。その日は疲れもあり、ロウソク行列には参加せず翌日の準備をした。
巡礼四日目、ホテル出発5時。バスでトウールーズ・ブラニャック空港へ。エールフランス航空でパリへ。11時10分着。バスに乗りレストランへ昼食に行く。大きな切り身の牛肉の串焼きに驚く! 再びバスに乗り込み、パリ市内教会巡礼、及び観光スポットを車窓より見学。凱旋門・エッフェル塔では写真撮影のため一時降車する。16時30分、不思議のメダイ聖母聖堂にて日本語ミサ。他国の巡礼団のミサもあり、順番待ち。売店で友人への土産に不思議のメダイをいくつか買う。その後バスに乗り宿泊ホテルへ。車中はうつらうつらして、ノートルダム大聖堂を見逃してしまった。
巡礼五日目。朝食の後、7時出発。バスでシャルトルへ向かう。10時15分、世界遺産シャルトル大聖堂巡礼。12世紀頃のヨーロッパの建物、聖堂の素晴らしさは他にたとえようがない。ステンドグラスは有名であるが、光線の加減か、残念にもはっきり見ることが出来なかった。建物をバックにして写真を撮ってもらう。
バスは宿泊施設のあるリジューヘ向かう。カルメル修道会の宿泊施設に到着。昼食。リジューはおもに幼きイエスの聖テレジアを訪ねての旅だ。ビゾネット〔テレジアの家〕へ向かう。聖ベルナデッタとは全く違う生活状況を知る。4人姉妹の末娘として裕福な家に生まれ、カルメル修道会に入会。聖女は24歳の若さで帰天する。
立派な教会で、日本語ミサがあり、この聖堂も両親により建てられたと聞く。
19時、宿泊施設にて夕食。外国の宿泊客と一緒で、お国の歌などが披露されて楽しかった。
巡礼六日目。8時にリジュー出発。バスでモンサンミッシェルへ向かう。車窓からは、一面の麦畑が地平線まで続くのを見る。
モンサンミッシェル巡礼と黙想。
12時15分、聖ミカエル修道院内、塔の上の聖堂まで外階段を休み休み昇る。モンサンミッシェル〔山・聖ミカエル〕修道院聖堂にて現地ミサに参加する。フランス語の聖務日課に続くミサ、聖歌などの伴奏に一人の修道女の尺八を聞いて驚く。叉、着いた時は橋の下に海水が満ちていたのに、帰りには海水は全くなく、人々の散策するのを見る。振り返り見る塔の先端に輝く、大天使聖ミカエルの像を脳裏に残しパリへ。
巡礼七日目。パリのホテル9時出発し空港へ。パリ発13時20分、エールフランス航空で日本へ向かう。
日本時間9時30分。関西空港に到着。私の1週間の巡礼の旅は無事終了した。素晴らしい旅に恵まれ、感謝のうちに、余生の糧となるようにと祈りながら。
以上旅行記として残すことにしよう!
完