かわち野

かわち野第11集

鉄を食べた木

山田 清

 通い慣れたこの道。
 南海電鉄・高野線の千代田駅を出て道路を渡り終える。そこからはおよそ100メートル余りで、目的の千代田公民館に着く。
 月2回の『綴り方と話し方教室』へ通い始めてから、早いものでもう10年を数える。
 側道の右手には大きな駐輪場、左手は南海電鉄・高野線の上り下りの線路、側道との間には金網が敷かれてある。春には名も知らない草花に覆われ、夏は淡い青紫色もかわいい昼顔が、その金網に巻き付いて咲いていた。初秋には彼岸花が彩る、いつもの道である。
 例年に比べて、いつまでも夏日が続いていた、9月の下旬。
 その日も千代田駅を出て、暑さを感じながら金網の道まで来た。その金網の一角に、大きさは20センチ四方位だろうか、木製の看板らしきものが目に止まった。誰がこんなところに架けたのだろう。親切にも、公民館への進行方向でも表示してあるのかと、即座に思った。
 しかしそれは、看板ではなかったのである。金網面と平行に切られた木の、縦断面であった。きっちりと網目に食い込んだ看板らしきものは、外れはしなかった。さらに直ぐ近くには、直径が30センチ程の、切り株があった。
 よくよく見ればその切り株は、1辺が7センチ位の菱形の金網や、帯鉄、そして鉄製の棒までも飲み込んでいた。それらが木の中心部を貫通している、驚きの光景だった。切り株の表面には、木の再生を阻止しようとの思いから、人工の亀裂が施されていた。
 同じような木がもう1本、20メートルほどの先にあった。
 たしか春には新緑も鮮やかな、楠であったはずだ。在りし日のかすかな記憶が蘇ってきた。
 きっと、成長盛りの若木の為せる業であろう。生命力や生長の速さなどが、遮るものを飲み込み、育ち続けるという自然の、強い意志が伝わってくる。
 知らなかったし、気が付かなかった10年。
 この木のように、立ちはだかるものを恐れず、雄々しく伸び続けた若い日々が、果たしてこの私にあっただろうか。
 気概に溢れた2本の木を見ていると、私の生きざまを問われているような気がしてならない。
 以来日々の生活の中で、木々と金網のある風景に、意識することもなく視線が注がれていた。
 すると近隣の貸農園の片隅に、同じように金網を飲み込んだ、名も知らぬ木があった。無残にも、交わった部分を残して切られていた。
 さらに学校の運動場に敷かれた、金網とシャクナゲの木。小さな網目に突っ込んだ枝の残骸が、あちこちに点在していた。
 金網と木々が創る生命の物語は、確かに他の場所にも存在していた。境界をつかさどる金網と種々の木は、奇縁ともいうべきライバルでもある。けれども負けはいつも、切られてしまう木の方で、鉄には勝てない。
 しかし千代田の金網に架けられた木の看板に、このように書き記したい。
「鉄を食べた木」と……。
 何気ないいつもの風景に、感動の物語があった。
 その生命力は、このままでは終わらないだろう。きっと寒さに耐えて、準備をしているのにちがいない。
 ひこばえ芽吹く春は近い。