かわち野第九集
干し芋
井上 文子
スーパーに行くと、食品の陳列が大体決まっている。「あ~もうこの時期が来たのだ」と思う。置き場所もいつもと変わっていない。孫達に送ってやろう……。まあいいかと通り過ぎようとしてしっかり見ると、粉が吹いているのもあれば、しっとりとして甘そうなのもある。
まだ私が小学生になっていなかった頃、福井県の三国町に住んでおり、母はお金にならない雑魚を自分の在所の知り合いに持って行っていた。その代わりにお茶の葉や野菜を貰って帰るのである。その日は、母はいつも「ふみちゃん、先に行って待っていなさい」と小声で言ってくれる。私はいそいそと先に通りに出て、母の来るのを待っていた。
いつも三国駅から電車で三、四駅くらい乗ると芦原駅で降りて、客は渡りの階段を下駄の音を立てて出口へ向かう。木製で、歩くと「ガタゴト」と響く階段を降り、駅の中を通って端っこにある、子供の好きそうな布製のお人形等を吊してあるおみやげ屋を見るのが楽しみであった。
途中、温泉街を抜けると急に田舎道になり、変電所や大きな沼がありいつも緑色をしていた。そこを通り過ぎ、広いくさはらで足を投げ出して、母からおにぎりを貰い、母が新聞紙についたご飯粒を拾い終わると、二人立ち上がり歩き出した。広い坂井平野の向こう迄続く汽車が遠く走るのが見えた日もあった。田畑の続く美しい景色を見ながら歩くと村の端に知り合いのお寺が在り、昔、母がお針を習っていた所である。
そんな時、私は母を独り占め出来て嬉しかった。
その日、母を待っていると、なんと二人の兄が来て私の両手を取って「家へ帰ろう」と言うのである。私は兄達に見つかったと思い悔しくて悔しくて、道の真ん中で泣き叫び、地団駄踏んで座り込んだ。兄達がどうすることも出来ずにいると、それを見ていたのか、行商のおばさん二人が、私の手に干し芋をつかませてくれた。私はぎゃあぎゃあ泣いていたのに干し芋を手にした途端ピターッと機嫌を直し、おばさん達にお礼を言ったかどうかも覚えていない。その日は何かの都合で母が行けなくなり、取りやめたのであろう。文子が通りにいるので連れ戻すように言われ、兄たちがむかえに来たのである。
売れ残った干し芋を手渡してくれた二人の行商のおばさん達も子育てのコツを知っていたのだ!
干し芋を貰った子供に、それが一生の思い出として残っている事も知らずに……。