かわち野

かわち野第四集

天野街道

山田 清

 今年の花見は、天野街道の桜と決めていた。
 桜の開花情報にお天気情報、それに自身の体力事情を考慮して、三月末のこの日を選んだ。
 南海電鉄高野線の金剛駅で降りると、まず狭山神社に参拝し、この旅を始めた。狭山池の周りを思い思いの人々がめぐり、大池を囲む桜並木の淡いピンクが、春の青空との境界を教えてくれている。国道三百十号線を渡る。そして小学校の脇を通り、坂道を登ると集落に入った。なお細い道をたどり、道標石とお地蔵さんの立つ辻道に出た。
「ようこそ、左は、西高野街道。右は、天野街道だよ」
 分岐点のお地蔵さんは、歓迎の笑みをうかべて標石を指しながら、教えてくれているようだった。お賽銭をいれ、目標の地へと続く右の道を選んだ。
 しばらくは陶器山丘陵の尾根道が、天野街道であった。街道案内人は、うぐいすのリレー。暖かさに調音された澄んだ鳴き声は、丘陵の春風の中に溶け込んで飛び交っていた。街道沿いにも小さなお地蔵さんがあった。裏手の木の小枝にちりとりとほうきが掛けてあり、供花は真新しい。大切にされているのが、よくわかる。
 休憩所の花壇やプランターにもチューリップ、三色スミレ、スイセンなど桜花と競うように咲いていた。見晴らし台の休憩所には、丸い大きな時計がかけてあり、となりには短詩を書いた額が掛けられてあった。なるほどとうなずきながら、最初の給水をした。
 しばらく行くと街道を左に下り、三都神社へ寄り道。参拝を済ませると街道にもどり、また、一人で歩きはじめた。葉っぱの無い山ツツジが、赤紫の塊となって咲いている。体育の時間なのか、元気な子供達のかけ声が、木々の間から飛んでくる。陶器山の名の通り、丘陵を利用した窯跡の発掘もされたようだ。行き交う人との挨拶が嬉しい。旅人にやさしい、おもてなしの尾根街道だった。
 丘陵を離れて、天野街道コースのなかばまで来た頃だった。突然、後方から声がかかった。
「どこまで行くのや……」
「天野山金剛寺までです」
「ふーん……。まだ遠いで……」と言って、細いタイヤの軽くて速そうな自転車、風抵抗のない流線形のヘルメット、太く鍛え上げられた両足、濃いサングラス、完璧なツーリングシャツ姿の人が、私を追い越して行った。若作りではあるが、私とほぼ同世代に見えた。
 人恋しくなった私は、野良仕事のお母さんに声をかけていた。満開を過ぎたスモモの花を教えてもらった。美味しそうなエンドウ、ジャガイモは花盛り、空豆やタマネギは大きく育っていた。
 両手で四角をつくりながら、「写真ですか……」と問われる。
「いえ、天野山まで行くのです」
「もう少し行くと、ピンク色の桃の花がきれいですよ」
「ありがとうございました。お手を休めました」、久しぶりの会話だった。
 三市(堺、大阪狭山、河内長野)の境、子宝にめぐまれるといわれている穴地蔵まで来た。三叉路のベンチで、先ほどの自転車の彼が、私の来るのを待っていてくれた。
「やっと来たか……。これをやる」
朱文字で書かれた、ポストカード、おもて面には、次のように書いてあった。
   歩かな あかんで
   止ったら おしまいやで!
 驚きだった。
 天野街道に入ってしばらくの所にあった、見晴らし台の休憩所に掲げてあった額の短詩だ。字体も同じ、まさに一会の人は、その作者だった。
「天野山は、まだまだ先や……。日が暮れる、早よ行け……」
 そう言い終わるとハンドルを左に向け、街道から離れていった。私の街道を歩く後ろ姿は、今にも止まりそうな、危険な歩みに映っていたのだろうか。
 尾根を下り、丘陵の中腹を歩く。ピンク色の桃の花と菜の花の黄色が、曲がりくねった街道を彩る。丘陵と丘陵の間の一番低い所を流れる天野川に向かって、ゆるやかな段々畑と棚田が広がる。春風が、乾いた土の匂いを運んでいた。
 青賀原神社を過ぎると、街道は集落に入った。古い建物と新しい建物が混じり合い、人々の生活感があふれる街道。スイセンの香る路傍にこしかけ、ペットボトルの最後の給水をとる。
休息したはずなのに、再始動は足腰が痛い。
 午後五時すぎ、天野山金剛寺着。集落の外れをゆるやかに曲がるとすぐだった。しかし寺内の拝観は終了。咲き誇る桜の花々だけが、私を迎えてくれた。
 天野川の流れに向かって、金剛寺の塀の外を歩く。山あいの日暮れは早く、汗ばんだシャツがもう冷たい。急がなくてもいいのに、せっかちな桜の花びらが、塀をとびこえて川面に落ちる。咲いたばかりのはずなのに、なぜ散るのを急ぐのか。
 静寂のなかに、聞こえてくるものがある。
 眠りに入ろうとする、小鳥のさえずり。
 流れ続ける天野川の落差が作る水音。
 奈良の世から、連綿とつながる女人高野の祈りの声。
 もう、帰ろう。
 バスに乗車したのは、五人。
 歩数計三万六千余歩の、天野街道の旅。