かわち野

かわち野第六集

「ふるさとの碑、石仏」を訪ねて

後藤 新治

 河内長野の歴史に興味があり、ウォークが好きな仲間7人と10年前から月に3回ほど歩いている。
 昭和62年から平成元年にかけて、歴史研究家の出口夫妻、書家の小谷先生、そして河内長野市の職員を含めた4人が、色々な資料を元に現場をそれぞれ確認して作成した「ふるさとの碑、石仏」と言う本がある。河内長野と一部富田林を含めた68か所の碑と石仏を、歴史の背景や謂れの説明は書で、また石碑や背景は水墨画を挿入して、第一集、二集と2冊の本に纏め上げた。非売品で、それが市の交流センターの図書館にあるが、一時は借りるのが順番待ちという人気で、ひょんなことからその貴重な本を小谷先生から頂いた。
 それがきっかけで踏破しょうと言う事になり、現在、約8割ほど歩いて確認し、写真に収めている。
 小高い山の鬱蒼とした所、雑木林、滝の近く、川のほとり、廃れた寺社の跡など、苦行と言えるほどの場所が何か所もあり、それを発見した時は、声を張り上げて喜びを分かち合ったものだ。石に刻まれた文字を解析し、そしてどの時代に建てられたのか年号を探す。中には彫が浅く読めないものもあるが、年代的には江戸中期のものが多い。
 本に記載されたもの以外に、道標、お地蔵さん、路傍の石、記念碑などなど、興味深い物に出会うと、その場所で三々五々語り合い、いつも予定した時間に終わらない。一度、歩数計が3万歩表示されたことがあり、その時の疲労と脱力感は今も忘れる事が出来ない。
 河内長野には「高野街道」と言う歴史的遺産がある。弘法大師が43歳の時高野山を816年に開創され、各地から高野詣でが始まる。東・西・中・下の4街道が河内長野の本町辺りに集結し、高野山までの34キロを三日市、新町の宿場を利用してお参りする。その河内長野の街道に、宝篋印塔(ほうきょういんとう)・里程標(りていひょう)・常夜灯(じょうやとう)などの石塔があり、それらの物もこの本に収まっている。
 未だ片付いてない場所を今年中には終えたいと思うが、河内霊場、河泉霊場、全高野街道などなどを入れながらの歴史探訪ゆえ、見通しは立たない。春夏秋冬、同じ場所を歩いても季節により目新しいシーンを発見することもあり、感激することも度々ある。
 今年も目的を共有する仲間と、中身の濃い小さな旅を続け、暗黙のうちに決めた打ち上げの場では、歴史のロマンを語り合いながら(ウソッ!)残りの人生を謳歌したい。