かわち野

かわち野第三集

三代目 桂春団治

坂下 啓子

 私は小学生の頃家族に、二、三カ月に一度、京都駅から省線(今のJR西日本)に乗り大阪の角座に連れて行ってもらった。当時漫才絶頂期で覚えている漫才師は、ダイマル・ラケット、ミスワカサ・ヒロシ、久丸・ラッパ、 小円・栄子、柳次・柳太、漫才の骨董品で有名な捨丸等が出演していた。そしてトリは決まってかしまし娘。中でも、照江さんが取り分け美人だった。
 落語はその頃、漫才の勢いに押され、観客の中に「何や次は落語か~」という感が有ったが、私は子供ながらじっくり聞ける落語も好きで、特に特に春団治が掛かると嬉しくてワクワクした。その頃、小柄ではあったが、中々のイケメンで、野崎の出囃子と共に、すっーと出て来て一礼し、高座に座り羽織を脱ぐまでの所作が流れる様に美しく何とも言えない品があった。(後で知ったが、踊りの名人と言われていたらしい)
 彼の噺の中でも、私は「皿屋敷」が大好きで、これは絶品だった。お屋敷にお菊の幽霊が夜な夜な出ると評判になりそれがまた絶世の美人という。屋敷に町中の人が押し寄せ、井戸の傍の席の取り合いで喧嘩が始まる。もうすぐ出番という時に人々は、固唾を飲んで待つ。いよいよ、お出ましという時、太鼓が
「ドロドロドロー、ドロ、ドンドン」
「待ってました!お菊ちゃん」
「べっぴんさん」
と声がかかる。私達お客は大笑い。
「いちま~い。にま~い。さんま~い」
お菊になりきった春団治に、
「ええぞー。ええぞー」
と大向こうから声が。多分観客は、今日あった嫌なことも全部忘れてその一瞬を楽しんだ。あの場所にいなければ味わう事が出来ない寄席の風情だと思う。
 芝居や、歌舞伎の世界では「番町皿屋敷」といえば、お菊は皿を割った罪をきせられ、殿に切り殺され、悔しさで成仏出来ず幽霊になって恨みを晴らすという暗い話を上方の落語は笑いのネタにする。実に面白い。
 戦後の上方落語を復活させた、落語の四天王といえば、松鶴、文枝、米朝、春団治の四人。中でも米朝は、学術肌で研究家であり、テレビで司会も上手くこなす知識人として、文化勲章までもらわれた人だが、私は噺家一筋の春団治が好き。すでに上述のお三方は鬼籍に入られているので、春団治に何とか表舞台に出て来て欲しい気もするが、膝を悪くされ、座蒲団に正座できなければ、噺家じゃないと高座には出ないそうである。プライドであろう。
 最近たまたま、今習っている朗読の会に来てもらっている先生から最近の春団治の噂が耳に入った。犬の散歩に行くといつも、ブツブツ独り言を言いながら犬の散歩をしているおじいさんに出逢うという。ある日「以前は何してはったんですか」と聞くと。「落語家や」と言われたのでびっくりしていたら「春団治です」と言われた。あまりピンとこず黙っていると、「春蝶はわしの弟子や」と言われたそう。私は思わず「めちゃくちゃ有名な落語家ですよ」と返した。昭和五年生まれやからもう八十五歳。少し切ない気がするが仕方がない。もういいお爺さんになられているのだ。
 今私は、三代目春蝶さんのファンである。もちろん彼の実力を認めてのことだが、親子二代で春団治の弟子である事も、心の中に掛かるものがあるからだ。
 さて、家族で寄席を見た帰りは、心斎橋の喫茶店「プランタン」で私と弟は、普段口に出来ないマロンパフェとかチョコレートパフェを食べさせてもらい、大人は気取ってコーヒーを飲む。
 楽しい気持ちを引きずって帰りの省線の中、おじいちゃんが
「三代ちゃんは、誰も笑ってない先から大きい声で笑うなあ。サクラと間違われるでえ」               「ほんまや」と父。
母を肴に、普段仲の悪い父子がゲラゲラ笑い合う。私は嬉しくて仕方がない。こんな日がずーっと続いたらいいなあと思いながら。  そんな時いつも弟は横でコックリさん。
 こんな楽しい思い出とともに、私の心の中に、最盛期の「桂春団治」が生きている。
 貴方の代わりにこれからは、「春蝶さんを応援させてもらいますね」