第八集

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かわち野第八集 あとがき 綴り方と話し方のクラブ アイ・マイ・ミー代 表  重 里 睦 子  唐突に私事で恐縮ですが、高齢化に伴う当家の実状から申し述べさせて頂きます。「僕たちはねぇ、団塊の世代だから呆けるのも死ぬのもラッシュだよ」 数年前...
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かわち野第八集 ほお紅 黒江 良子  コロナ禍でのマスク着用のお蔭でお化粧を省く日常が続く。せいぜい基礎化粧品を付け、日焼け止め、 ファンデーション止まりとなる。コロナ禍も二年余りになると使っていた口紅やリップクリーム、ほお紅が古くなり処分...
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かわち野第八集 最後のライン 岩井 節子  買い物の途中にそのラインに気づいた。アンさんからのラインを開くと、「放射線の治療に入ってまだ三日目なのに食欲もなくきついです」とある。 アンさんは、子どもが小学生の頃から三十年来の友人である。彼女...
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かわち野第八集 福井地震 井上 文子  一九四八年六月二八日、午後五時頃、M七・一の地震が起きた。震度七、死者三七六九人。家屋の被害五万戸以上と後の新聞に記載されていた。 当時私は七歳で、坂井郡三国町三国北小学校の二年生であった。 その日の...
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かわち野第八集 五輪観戦記 余情 山田 清  昭和39年(1964)10月10日。 ファンファーレが高らかに鳴り響いた、快晴の国立競技場。それは日本国が、戦後の苦難の時代を乗り越え、高度成長に向かっての雄叫びであり、全世界へと発信したのであ...
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かわち野第八集 イサム・ノグチの提灯張り 三浦 佐江子  年末の大掃除でリビングの照明器具の埃を払おうとした。触ると灯りを覆っていた和紙がボロボロ剝がれる。掃除は諦め、このまま年を越せたら良しとした。一抱えもある丸い提灯型で、イサム・ノグチ...
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かわち野第八集 オカッパさんの頃 松本 恭子  父は農業技術指導技師の職責で、家族と共に、北海道各地を六、七年の間隔で転勤した。 私は三歳まで、南部のリンゴの産地で育ちながら、赤い実がたわわだった筈の景色を思い出せない。だが、果実の中ではリ...
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かわち野第八集 四十年前の見合い 林 和子  20代の前半、初めて見合いをした。 将来に明確な目標もなく、短期的な仕事やアルバイトをして、お金が貯まったら気ままに旅行ばかりしていた頃である。当時は今と違って、仕事も選り好みさえしなければいく...
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かわち野第八集 私の夏休み 西村 雍子  令和三年盛夏、七月コロナウィルス感染拡大からわが身を守るワクチン接種を終えて、私は自分の夏休みを考えた。 二十二日に長女多香子から連休を利用し千葉から帰省すると知らせて来たからである。まずすべき事は...
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かわち野第八集 彼岸花 徳重 三恵  俳句を学ぶようになって、そこそこの年月になる。「多くを詠んで多くを捨てる」が俳句の鉄則なのだが、近頃は捨てる句ばかりしか詠めていない。四季それぞれに美しく咲く花を見ては詠んだりしているが、胸を張ってこの...