かわち野

かわち野第八集

私の夏休み

西村 雍子

 令和三年盛夏、七月コロナウィルス感染拡大からわが身を守るワクチン接種を終えて、私は自分の夏休みを考えた。
 二十二日に長女多香子から連休を利用し千葉から帰省すると知らせて来たからである。
まずすべき事は、主人のショートステイの依頼である。ケアマネージャーに連絡を取り、施設に二十三日から二十五日までの二泊三日を依頼してもらった。
 主人は、十年前からパーキンソン病に罹患し、最近は認知症も加わっている。
 二十二日午後、長女は新大阪に到着、三女夏織の車で我が家に着いたのは二時頃だった。夏織の二人の子供も一緒である。コロナで長い間会えなかった娘や孫たちに会えて主人も私も大喜び。それもつかの間、今夜は妹の家に泊まると車に乗り込んで四時半頃四人は帰って行った。
 二十三日午前九時半、施設から主人の迎えの車が来て、彼は笑顔で手を振って車の中へ。
「さあー夏休みの始まりだ」
 急いで家を片づけて、畑にも水をやってから出掛ける準備をしなければ、今日予約しているホテルのチェックインは二時である。次女洋子が探して、ラインに、写真で紹介してくれている『大阪エクセルホテル東急』である。泊まるだけだから、ゆっくり出来れば良い。
「駅から近くて新しいから決めたよ」と言ってきた。
 金剛駅十二時二分発急行で難波駅へ向かう。難波駅改札口には洋子がスーツケース持参で待っていた。先ずは昼食をと、高島屋の上階へ向かう。
 食事を終え、地下鉄で本町駅へ、そこから少し歩いてホテルに着いた。
 十六階が受付で、洋子が事務の女性と話している間、私は建物からの景色を楽しみ、下の道路(御堂筋)を流れるように走る車を眺めていた。このホテルは真宗大谷派難波別院(南御堂)の敷地内に建てられている。チェックインの時間を過ぎ受付ホールには人が多くなってきた。私達の泊まる部屋九階へ行き多香子の来るのを待った。間も無く彼女は妹の車で到着した。
 部屋は紹介された写真の様に、すっきりと整えられたベッドが並び、身も心も休まる部屋である。早速、備え付けの湯沸かしでお茶の準備を。珈琲、緑茶、紅茶それぞれのティーバックが置かれ、水のペットボトルまで三人前並べてある。お菓子は、洋子の主人が有名店のアップルパイとカステラを三人へと買って持たせた。携帯用の小皿に並べ、ホテルの部屋でのお三時となった。
 この日、東京では一年延期されていたオリンピックの開会式が開催される日であった。夜はテレビを見ようと、娘二人は夕食と明朝の食事を調達に近くの百貨店に行くと出掛けた。私はベッドに横になると、朝からの疲れか少しうとうとした。
 二人が帰って来たのは何時頃だったか?
三人にはちょっと狭いテーブルに買ってきた物を並べていた。夕食は玄米のおにぎりと、サラダと春巻きに鶏肉と、なかなかのご馳走である。残念なことに椅子が一脚しかなく二人はベッドの端を椅子の代わりにして、楽しく食べながら久しぶりの再会をよろこびあった。
 食後はゆっくり夜の準備をする。まず入浴、浴槽には娘が持参した入浴剤が入れられ涼しげな水色の湯が満たされていた。娘に感謝しながら一番風呂へ。
 オリンピックの開会式にはまだ早く、明日の計画を立てることに。チェックアウトは十一時、開会式を最後まで見ると、起床は八時頃になるだろう。
 目の前には大きなテレビが壁に掛けられている。三人は、今から始まる東京2020オリンピックの開会式をベッドの上に座り待った。
 昭和三十九年十月に開催されたオリンピックを、私は観ていない。その頃修道院の中にいた私は、新聞もテレビも目にしない生活であった。後にその多くを知ったが詳しくは知らない。
 テレビが世に普及したのは、今の上皇両陛下ご成婚の時だと聞くが、オリンピックの時は多くの人が会場で、またテレビで観戦できたのだろう。
 いよいよ、東京五輪の開会式。八時五十九分放映開始時間である。わくわく感はあるのだが、気分は少し冷めている。新型コロナウィルスによる世界蔓延感染拡大のこの時期に大丈夫だろうか? 無観客、アスリートも競技中以外はマスク着用、等々多くの規制を設けての開催である。
 建築技術を駆使した国立競技場、日本のあちこちで行われる競技の会場も準備された。さあ楽しもう! 心配をよそにテレビは静かに開会式を進行させている。日の丸国旗、五輪旗、五輪聖火の登場と進み、国家斉唱、歌手は娘達のお気に入りのミーシャで、娘達はファンらしく歓声を上げた。
 各国の選手入場、二百五カ国の国旗と共に、選手及び関係者約一万一千人の登場だ。世界の人々がこれほど多く一ヵ所に集まれるのは、五輪以外には見られない素晴らしいことである。「ようこそ日本東京へ」と思わず言ってしまいそうになったが、何故か声にならず胸の中に留めた。私は何もしていないのにおこがましい気がしたからだ。しかし関係者の皆さんのご苦労は如何ばかりか、計り知れない。三百三十九種目の競技が競われるとの新聞記事を見た。
 天皇陛下の開会宣言のお言葉も聞かれ、明日からアスリートの熱い戦いが始まる。どれだけの競技をテレビで観戦できるだろう。
 先ずは東京五輪の開会式を見届けた。私の夏休みの目的の一つを得て一日が終わった。
 二十四日朝、身支度を整えて昨日娘達が買い込んだ朝食をとる。カフェオレに四種類のパンをそれぞれ三等分に分け、愉しく会話も弾む。
 さあ、ゆっくりはして居れない、出かける支度をしなくては。部屋を整え、忘れ物の無い様にスーツケースの準備に取り掛かる。チェックアウト迄時間はある。十六階の受付へ。エレベーターには何組かのグループが乗り込んだ。
 ホテルを出ると外は夏の日が眩しく、日陰に入ると風が心地よかった。大阪メトロで梅田迄。次は第二の目的の買い物をする。四月に新しくした、スマホに合うワイヤレスイヤホーンを買うため家電店へ向かう。
 梅田グランフロントではショルダーバッグと、三人お揃いのブレスレットを求めた。昼食はグランフロントの流れる滝を見ながらの、パスタ料理に決めた。娘洋子は何でもカメラで撮る、撮りたがり屋さんだ。後で沢山私のスマホに送られてくる。
 多香子は夜には千葉に帰る予定だ。洋子は新幹線まで見送ると言い、私はもう少し一緒に買い物をし、JR外環状線で帰ろうと考えた。別れ際にコロナ禍で禁止されているhaguをそっとして別れた。娘二人との一泊二日の私の夏休みは終わった。
「本当に色々有難うね。気をつけて帰ってね」 「楽しかったね。お母さんも気を付けてね」
「お父さんに、よろしくね」(ラインでの会話)
 多香子は十九時四十九分東京駅に到着。帰宅は二十時三十分頃と受信する。まだ日差しの強い新今宮駅のホームに立ち、二日間の休み全てを感謝した。
 帰宅すると、昨日の出掛ける前に気持ちをリセットし、洗濯機を動かしながら一息入れ、ゆっくりテレビを点けた。
 物干し場に上がると、夏の花、庭の百日紅の白い花の塊が幾つも風に吹かれて揺れていた。