かわち野

かわち野第五集

正座ができた

鈴木 幸子

 健康寿命を伸ばしたくて、平成二十九年十月に右人工関節置換術をうけた。
 靴下をはくのにも時間がかかり、足の爪を切るのにも体の向きを工夫しないと切ることができなくなっていた。右股痛で仲間の歩調についていけない日もあり、誘いも断わりがちだった。
 このままではいけないと思い新聞を読んでいると、股関節セミナー開催の記事が目に留まった。そこで、早速申し込み、息子を同伴して受講する。その内容は、術後の動作制限を極力しない「ハイパフォーマンス人工股関節」というものであった。医学の進歩がわかり、息子と共に安心したので手術を受ける決心をする。
 入院、手術、リハビリと順調に進み、二週間で退院することができた。同じ手術をうけて三週間入院していても、自宅で生活できない人は、リハビリ病院へと転院して行く。
 私は七七歳。六〇歳の定年まで公立病院で看護師をしていた。私が病棟勤務していた四十年前と違い、医師・看護師・理学療法士・作業療法士・薬剤師・栄養士とチーム医療の連携がきっちりできていることにまず驚く。それぞれが病室に来てくれて納得できる説明を受けることができた。
 病院の寝衣を借り、使い捨ての下着を準備したら別に暮らしている息子を煩わせることもなかった。
 病棟では感染を起こさない様に細心の注意を払っている。入院中は三回も歯科受診があった。耐性菌が多く抗生物質等が効きにくくなっているのだろうか(私の憶測ではあるが)。
 退院が思いのほか早く決まったのですぐに息子に連絡をした。私は、家族が迎えに来てくれて一緒に帰るという幸せな光景を想像していた。ところが、手術の説明日や手術当日には来てくれた息子は、「便利屋さん頼んで」とそっけなく言った。
 帰宅して、仏壇の前に正座。夫に報告した。 「お父さん、秀昭、迎えに来てくれへんかったよ」