かわち野

かわち野第九集

優しすぎるって何だ(遺作)

津田 展志

 私が難病のギランバレー症候群に罹ったのは、結婚して八か月経った頃だった。微熱が続き、原因も病名もわからず、入院するまで一ヶ月近くかかった。
 入院直後は一か月で退院の予定だったが、病院のミス? (私はそう思っているのだが)で、身動き一つできない体になってしまった。
 その時の処置がもう少しでも遅れていたら危うく植物人間になっていたところだ。
 それから、八か月の入院生活が続いた。そして、リハビリとなったが、それが頼りなく感じ、将来を不安に思った私は、妻に「別れてほしい」と言った。しかし、妻は「ついていく」と言い、別れてはくれなかった。
 となれば、リハビリに励むしかなかった。しかし、後遺症が残ってしまった。全身が痺れて、触っても感じない。それに、八か月の入院で筋肉も衰えた。鉛筆も持てない。点滴で指先の筋肉を傷つけたらしく親指と人差し指がまげられなくなっていた。その後親指は何とか回復したが、人差し指は今でも曲がらない。
 そんな状態になってしまった私であるが、そのお陰でたくさんの優しさに出会った。そして、優しさって、相手の親切や思いやりを受け入れてこそ成り立つものだという風に思った。つまり、優しくする方とされる方双方があって成り立つものだということだ。
 優しさについて書いてみよう。
 昔を思い出すと、意外なことが分かった。
 小学校を卒業するまで、いつも私の周りには女の子がいた。そんな女の子たちが、「のぶちゃんって優しいね」と、よく言っていた。自分自身では優しくした覚えはない。普通に話しているだけであった。なのに何故? 女の子みたいだから優しいと言われているようにも聞こえて嫌だった。ただ、思い起こすと、一人ぼっちや困っている女の子には声をかけていた。女の子に話しかけることには抵抗がなかったのでできたことである。話しかけて色々聞いてあげるとみんな笑顔になる。それが嬉しくて、気になると話しかけていた。
 しかし、誰にでも話しかけることで勘違いされることも多かった。好きだから話しかけてくると誤解を受けて、女の子にほっぺたを平手で叩かれたり、追い回されたりすることもあった。
不思議だ――。
 大学に入るとモテ期となった。デパートでアルバイトをしたが、以前と変わらず、誰にでも話しかけたし、話しかけられるとそれに応えていた。だが、たった一人口説いた女の子がいた。休憩時間を合わせて一緒に居るようにもした。
 しかし、いつも彼女の友達も一緒だ。二、三人を相手にしての会話は実に楽しい。普段は口下手の私でも女の子相手だと話し上手、聞き上手になれるのだ。共に同じように接するので、嫌な顔などされたことはない。ただ、本命の彼女にはなかなか近づけなかった。
 だが、ある日、友達二人の後押しで彼女の住所も電話番号も教えてもらった。これで直接連絡が取れるようになったと思ったのは束の間、
当時は携帯電話など無く、家に電話をすると、親がうるさいからダメと言われ、家に会いに行けば、父親に罵倒されたり。それがトラウマになって、また、友達経由での手紙のやり取りだけとなるのだ。
 そんな彼女から言われたのは、「優しすぎる」だ。
「……」
 優しさは、男女間では、お目当てだけに絞らねばならないようだ。私の〈誰にでも〉は本当の優しさではなかったようである。