かわち野

かわち野第七集

雅子姉さん

松本 恭子

 卒寿を迎えて、身辺整理が進まず焦りを覚える。階段下の物置に横たえておいた編機、ずい分働いてくれたけれど、未練なく処分することにした。
 編機と言えば、逞しく生きた六歳違いの姉を切なく想いおこす。
 私が北海道の親元を離れ、神奈川県藤沢市の次兄の家に居候し自動車会社のOLだった頃のこと、母から分厚い手紙が届いた。いつも葉書の便りなので何だろうと封を切った。
 駆け足で冬が近いことを告げて、苦労が絶えない姉を案じるあまり、私に頼みごとをしてきた。
「……。祐四郎さん(姉の夫)が又入院したようですが、雅子(姉)から音沙汰が無く、手紙を出しても返事がありません。申し訳けないけれど様子を見てきてくれませんか。くれぐれもよろしく……」と。
 消しては書き直す乱れた文字が、母のはやるおもいを伝えてきた。義兄は病弱で勤めが続かず入退院を繰り返していた。さっそく私は欠勤届けを提出し姉の住む東京へ向かった。
 東京駅の雑踏に揉まれ、複雑な乗り継ぎも何とかクリアして、山手線、上野池袋方面の電車に乗り田端駅で下車。ここから姉の家までは尋ねたずねて辿りついた。しかし、ほっとしたのも束の間で思わず目を疑った。
 表札の横に姉の達筆な字で、「編物承ります」と板きれの看板が掲げてあった。姉は私と正反対で、裁縫系統は苦手で嫌いな筈だった。主婦に納まらず、国家試験で不動産鑑定士、社会福祉士の資格を取得し、職業と家庭を両立させていたのだった。
 玄関の戸がするりと開いて、気配に振り向く編機の前の姉に、私は訪問の理由より疑念が先立ち「編物できるの? 得意なの」と問いかけた。すると、大胆不敵な答が返ってきた。
「注文を受けた毛糸を持って、編物教室で教わりながら編んでいるのよ」
 それには、唖然としたけれど事情をすぐ理解した。
 義兄が結核療養所に入院中で、保育園児の英二、小学二年生の省吾はまだ幼く、今まで頼っていたお姑も亡くなり、家の中で出来る仕事をと思いついた苦肉の策だったのだろう。姉の猪突猛進的な性格は悩むより即実行の方で、おそらく、寝る間も惜しみ夢中で編機を動かし、母への返事を怠ったわけではなかったのだと思う。むしろ姉の体を案じた。
 それでも初めての編物が楽しい様子で、息子たちに編んだ地糸が紺色の可愛いセーターを見せてくれた。胸の辺りのモダンな配色、巾二センチ程に入れた淡いピンクの毛糸は、お客様にお返しする余り毛糸を「お使い下さい」と言われ頂いたものだとか。ともあれ、人の出入りは母子三人の侘しさが紛れたことだと思う。
 姉の手を少し休ませ喫茶店へ連れだした。くつろぎながら母の手紙を読んでもらい、気がかりなことを聞いてみた。
「生活、苦しいんでしょう」
「いや、それほどでもないの」
 軽く否定し、持っている鑑定士の資格を町の不動産会社に貸して、時々顔を出し僅かでも収入があるそうで安心した。
 この日、纏まったお金を持参していた。妹が奢る形で会計し、食料品をたっぷり買わせ、残りを暮らしの足しにと姉に渡し、仕事にさしつかえないよう早々に帰ってきた。そして母を安心させる手紙を書いた。
 その後、健康をとり戻した義兄は日立電機に復職すると、順調に勤めていって経理部長の頃、逗子市葉山町の高台に二世帯住宅を建て、省吾(長男)の家族と賑やかに暮らし生活も安定した。だが姉は七、八十坪ほどの畑を借りて無農薬野菜に拘り義兄の身体を気遣った。
 私は洋裁が好きで姉の服をよく縫ってあげた。仕立て上がった服を届けるため、逗子の駅で姉の迎えの車を待っていると、畑からの直行が歴然で泥々の半長靴、孫が捨てた漫画キャラ柄の服を着てせかせか降りてくるなり、「待った? ごめんごめん早く乗って」とせかし、車中とはいえ汚れた恰好で葉山御用邸を横目に走り抜けるのだった。
 畑だけではなく、庭の隅に二坪ほどの温室を建て、熱心に洋蘭を育てて、品評会では鎌倉市長賞を拝受したことがあり、陶芸、俳句と趣味も多く、外が明るい間は動きまわっていた姉は、この頃が幸せの絶頂だったのかも知れない。
 過去には、切羽つまるとなりふりをかまわず、野菜や魚を担ぎ行商までした時期もあり、一途で男まさりの姉が唯一吐く弱音があった。
「わたしは、父さん母さんの悪い所ばかり似てしまった」そう言い不器量を嘆くと、傍の義兄は「僕は生まれ変わっても雅子と結婚したい」と言う。これまでの姉を知る私はその言葉を霧が晴れるおもいで聞いていた。
 しっかり者の姉の物忘れがはじまったのは、七十代後半からだった。私が大阪から何年ぶりかで上京すると、女の子が欲しかった姉に「わたしの娘」と抱きしめられ病の進行に胸が塞がった。
 痴呆の病名が認知症と呼ばれるようになり、愛する息子たちさえ識別できず、苦労のすべてを忘れて姉は義兄が待つ天国へ旅立った。
 享年九十四歳の往生だった。
 木の葉が散りはじめて、デパートでは早くも冬物商戦のなか、ふと、模様が甥たちのセーターに似た前で足がとまった。
「ほら恭子、英二と省吾のセーターよ、可愛いでしょう」。
 胸の中の姉が元気な声で私を呼びとめた。