かわち野

かわち野第五集

愛犬 コロ

黒江 良子

 息子達が小学生の低学年の頃である。
 午後三時過ぎ、もう帰って来る頃かなあと何気なしに門扉を開けようとした時、一匹の首輪のない犬が門扉と私の間をすり抜けて入って来た。「あっ」と声を上げ「こらあ!」と叫んだ。
 たまたま玄関ドアを開け放していたので私の声にびっくりして犬は部屋に上がってしまった。急いで追いかけていくと、和室の床の間の前でウロウロしている。逃げるにも、縁側のガラス戸を閉めていたので逃げられない状況であった。私はすぐガラス戸を開けて再び「こらあ!」と言うと、犬は庭に降りて門扉から外へ逃げた。
 私は思いがけない出来事にハアハアと肩で息をしながら縁側に座り込んだ。暫くしておもむろに、立ち上がって犬が通った所を拭いた。拭きながら必死の形相で大声を出した自分を恥ずかしく思った。それにしても追い詰められた犬が私に歯向かう事なく、ホッとした。
 大騒ぎが落ち着いた後、長男が帰って来たので先程の話をした。
「野良犬が家に入って来てね『こらあ!』と追い出したの」
「茶色の柴犬の雑種?」
「そう、そう」
「その犬やったら、いつもずっと僕についてきて、今日は教室に入って来たので皆に追い出された」と長男は言った。
「可哀相に。教室から追い出され、我が家からも追い出され……」
 息子は二人共、動物好きである。
 特に長男は犬が大好きで、公園で見知らぬ犬でもしっぽを振りながら、長男の傍によって来る。ごく自然に手を出して頭をなでている。
 翌日、子供達の下校時、向かいの一番端の家の横から、その犬が顔だけ出してこちらを見ていた。そこへ集団下校の子供達が帰って来た。よく見ると、長男が犬の頭をなでている。一緒に家に近づいてきて、犬は私の顔を見て、長男から離れて端の家の横まで戻るのである。
 それからは子供達の下校の時間帯になると、必ず端の家の横からこちらを見ている。
「今日も来てたよ」と夫や息子達に報告する。そんな事が数日続く中、息子達が、
「飼いたい、飼いたい」としつこく言い続けた。夫も私も家の横から顔をのぞかせている犬にすっかり情が移ってしまい、飼う事になった。
 夕食時、
「犬の名前はどうする?」
「ポチ、ジョン、コロ、タロウ」と色々と出た結果『コロ』に決まった。
 早速、夫が板を買ってきて犬小屋を作った。コロを近くでじっくり見ると中型犬で毛並みも良い。
 何と言っても私の恐ろしい形相、声にもめげず賢く対応したのが頼もしい。
 息子達が首輪を付け、ロープで犬小屋に繋いだが、翌朝、犬小屋がバラバラになっているのを見て呆然とした。しかし、コロは棒切れのついたロープに繋がれたままだった。
にわか作りの犬小屋であり、コロは血気盛んで力がみなぎっていたのだろう。
 あわれ! 犬小屋は廃材となった。夫は仕方なく高島屋に犬小屋を注文したが、届くまで『家なき犬』であった。
 コロは家族の序列をしっかり理解していて、夫には従順。息子達にはしっぽをちぎれんばかりに振る。特に長男を見る時の目の輝きが違うのである。全幅の信頼を置いている様子が伺える。一方、私には、少々上目遣いでゆっくりとしっぽを振る。「こらあ!」と追い出されたトラウマかも知れない。
 時間が経って、餌やりと散歩が主に私の役目となってから、すっかり信頼してくれる様になった。夏は予防注射をしているものの、蚊に刺されない様、危なくない様にして蚊取り線香を置く。冬は小さな毛布を犬小屋に入れたりしたが、すぐ放り出していた。
 コロは夕方の散歩まで庭でウンチやオシッコはしない。その為か散歩の時はとても勢いよく走る。下り坂で、私が転びそうになるので、カウボーイの様に「コロ、ストップ!」とロープを引くとキィーと止まる。漫画のワンカットの様で笑ってしまう。『早くオシッコをしたいのに』と言いたげな切ない目で私を見る。「分かった、分かった」と小走りで進む。
 息子達が学校から帰って来ると、そのままコロの犬小屋へ直行する。飛びつかれたり首や背中をさすったり、息子もコロもじゃれ合ってひとしきり遊んで家に入って来る。
 夏休みは長男と同い年の甥が遊びに来て、三人一緒にガレージでコロを洗う。最初はシャンプーで泡だらけ。コロはされるがままだ。少しするとブルッと身を振るわせ、腕白三人は泡だらけ。「キャーッ アハハ」とにぎやかな事。
 次に水を掛けられたコロが身を二~三回、 ブルッ、ブルッと震わせると三人共水浸し。身をブルッと震わせるのは犬の習性だが、腕白坊主にされるがまま、辛抱していた事へのささやかな抵抗だと私はみて、とても愉快だった。
 春・夏・秋・冬。コロはすっかり家族の一員となり、私達はコロに癒され、日々の明け暮れがコロと一緒に過ぎて行った。
 我が家に来てから数年が過ぎた頃、コロに元気がない。すぐ獣医さんに往診をお願いした。夫がコロを芝生の上に連れて来ると、寝そべって注射し易い様に体勢を整えたのには驚いた。
 それから一週間後に亡くなった。
 幸い息子達が学校に行っている間に亡くなり保健所に連絡して、引取りに来て貰うことになった。段ボール箱にバスタオルを敷き、その上にコロを抱いて置く時、まだ少し暖かかった。庭の椿を一輪入れると涙が溢れた。近所の友人二人が来てくれて三人でコロが入っている箱を保健所の人に手渡した。
「よろしくお願いします」
「手厚くさせて頂きます」と言ってくれた。
 午後、息子達が帰って来た。「コロは駄目だったので、保健所の人が優しく連れて行ってくれたよ」と言うか早いか、長男は二階の自分の部屋に一目散に駆け上がった。そして、バタンと力一杯ドアを閉める音がし暫らく出て来なかった。次男は泣きながらトイレに入りこれも又、なかなか出て来なかった。庭には犬小屋がポツンと残っていた。
 今、私は来年の干支、犬のちぎり絵や一字書きの年賀状を作りしたためている。その中のちぎり絵の犬がコロに似ているのである。そのコロに向かって小さな声で「こらあ!」と言ってみた。その一枚を手に取ると、コロと過ごした日々のひとコマ、ひとコマが、ファーッと心の中に温かく広がって来る。
 ほっこりした師走の一日……。