かわち野

かわち野第七集

果敢無きは人の命

滝尾 鋭治

 私はわずか三年の間に、親しかった五人の友に先立たれた。永年癌と闘いながら力つきた、七歳年下の近鉄百貨店時代の細井君。同じく同僚だった五歳年下の古沢君。彼とは死の前年、近鉄食道部同窓会の席で隣りあってすわり、大いに飲み食いしながら歓談した。あんなに元気だったのに……。
 無常の風が憎い。

 文学仲間で真っ先に旅立ったのが、京都大学文学部出身で五歳年下の小西さん。彼とは大阪文学学校時代、同じクラスで四年間いっしょだった。在阪の大手広告代理店の編集者をしていた人だから、文章の基本から小さなまちがいまで細かくチェックしてくれた。
 自身もまた、本科の時に学校の文学賞を受賞するほどの書き手でもあった。聞きもらしたが、多分血液型はA型だったと思う。かく言う私もA型で、まちがいはささいなことでも気になる。だから、小西さんが指摘してくれる様々なことがありがたかった。
 私もまた、人様の作品をチェックする場合、分厚い広辞苑をひもといて調べる。要するに、それなりの労力を費やさねば指摘はできないことを知っているからだ。しかし、女性の多くは、「小西さんは粗探しばかりするから嫌い」と言って眉をひそめる。男にとって、女性は扱いにくい存在だな、と思う瞬間だ。

 次いで旅立ったのが三歳年下の盟友林さんだ。彼とのつきあいはあべの文学の同人となった十四年前だ。親しくなった頃に言われた言葉が今も耳に残る。「滝尾さん、この会はわしとあんた以外は全員大学出のホワイトカラーや。肉体労働のブルーカラーは二人しかおらへん。仲良くしようぜ」と。
 その後林さんも癌を患らい、手術をして一時期は快復したかに見えた。が、再び体調を崩して還らぬ人となった。

 令和元年の四月には、癌と共存しながらも八十五歳で国方さんが逝去された。つい先日、国方さんの奥さんに彼が著した本を送られてそのことを知った。正月には、いつも通りに賀状を兼ねた葉書一枚のエッセイをうけとったのだが。
 ここに、その全文を紹介する。
「新たな年を迎えました。みなさまに幸せが多い年であることを心から願っています。一月十五日で八十五歳、二十二歳から六十二年間、一教師として数多くの生徒たちと接することができた幸せを感じています。女子少年院での授業は二十四年になります。学校からはじき出されてここに収容された、深い悩みを抱えた生徒をどう教え、人としていかに成長させるべきか、暗中模索してきました。百分の授業の最後十五分に『日本の昔話』(松谷みよ子)『どんぐりと山猫』『よだかの星』『注文の多い料理店』(宮沢賢治)などの朗読をつづけてきましたが、生徒たちはどう感じているのか、私の自己満足になってはいないか、と手探りで悩みながら長年の実践でした。
 先日、物語朗読について生徒の声を知る機会がありました。【うっとりした気持ちになり、心が落ち着きます。先生のいい声がスーッと入ってきて、私は悩みから救い出される感じになり、気持ちを穏やかにしてくれます】【ドキドキして面白いです。次はどうなるんだろうって物語に集中して、その中へはいりこんでいる感覚になります。先生が読むときの声の強弱や、話し方で頭の中にイメージが浮かんで、寮に帰ってからも思い出しています】私の教師としての印象については【みんなのお父さんみたいです。私が辛かったとき『K、やるぞ』って言ってくれたり、泣き止むのを待っていてくれ、絶対にほったらかしにしない。すごく温かい。厳しいときもあるけど、褒められるときは、誰よりも先生に褒められるのが一番うれしいです。大きな温かな手で包みこんでくれるような先生です】

 そう思っていたの、と涙が出ました。ガンを抱えてですが、もう一年がんばるつもりです」とあった。

 国方さんは四季折々に葉書一枚のエッセイをくれた。近々のエッセイの中にも、「今の私は女子少年院で教えることが生き甲斐です」                                                                                                                                                                                                                                                                                                     と書いておられた。人柄はいたって温和だが、内には教育への情熱を秘められていたであろうことが伝わってくる。
 ふと、はかなきはひとのいのちよと思う。長く生きれば生きる程、掛け替えのない佳き友は遠い国へと旅立ってしまう。私はその虚しさ淋しさを紛らわせる意味も含め、好きな書く道に励むとしよう。余生、そのような心意気で全うできればいいなと思っている。
〈了〉