かわち野

かわち野第二集

縁起のいい街

徳重 三恵

 三十七年前、私は姉妹三人で大阪郊外O市に一軒家を買い早々に入居した。当時の私は三十五歳の独身で銀行に勤めていた。いつのまにか職場の女性は若い人ばかりで上司からは叱られ役であり、新入社員からはすこし仲間はずれのような存在であった何となく私はこのまま定年まで勤め、将来も結婚しないような気がしていた。それまで住んでいたのは大阪市内の二十坪足らずの小さな家で、ひとつの部屋が居間に寝間に、ときには客間にと変わる。もちろん自分の部屋などない。勤務先の梅田までは九願だった自分の部屋を持ち、応接間という余裕の一間だってできた。一緒に住む母に揺り椅子をプレゼントしたところ、この椅子を母はとても気に入ってくれた。レース越しのやわらかい日差しを受け、居眠りや庭の草木を見て楽しんだ。○市は私が住む十年ほど前にニュータウンとして売り出されていたが、越してきた当初は空き地がいっぱいあった。すこし離れている雑木山から夜になると夜鷹が特徴ある声で「キュキュキュキュ」と洪しげに鳴くのが枕元にとどく。また、あるときは野獣のような胞障もある。
 これはもう、とんでもない傭地に来たのかと後悔した。けれど朝になると街は道幅も広く、あくまでも明るい。私は早くこの地に馴れようと休日には歩きまわることにした。すでに住んでいる人は、自分の家を思い思いに飾っている。子犬がしっぽを振ってフェンス越しに顔をだす。別の家ではドーベルマンが今にも飛びついて来るのではないかと驚くこともある。夜にひびいてくる獣のような鳴き声はこの犬だったのか。·やさしい春風に吹かれながら、私はその日も街歩きを楽しんでいた。ふと私は何ものかに付けられている気配を感じた。まるで私の歩調と合わせるようについて来る。
 小さくはないようだ。人間でもなさそうだ。いま歩いている道筋には確かドーベルマンを飼っている家があったはずだ。黒褐色で校滑そうな奴(アイツ)か。一度噛んだら絶対離さないと聞いている。そうだ奴に違いない。近ごろ浮かれている自分を悔いた。どれくらい離れているか後ろを振り向く勇気はない。さいわい目の前に門扉の開いている家がある。「そうだ、あの家に飛び込もう」そう心積りをし、焦りがちに歩を進める。いま私が走れば奴は待ってました、とばかりに襲いかかってくるに違いない。堂々と振り向くことなどとてもできない。一瞬チラッと視野に入った感じでは体長一メータ二、三十センチほどはありそうだ。そのとき、バサッという音がした。いよいよ来たか。
 手も足も金縛りにあったような私は、声も出せずその場所に突っ立ってしまった。再びバサッと紙鉄砲を振ったような音が聞こえる。
 硬直した姿勢のまま後ろを恐る恐る振り返り、そこに私が見たものは:。「エッ!」まるで白昼夢でも見ているような光景だ。なんと、広い道幅いっばいに孔雀が大きな羽を拡げている。上村松算が描いた孔雀の絵よりも美しくダッナミックに。馳々と鮮やかな緑色の羽と、その羽についている藍色の模様はまるで眼のようだ。彼は豪華な衣装を拡げたまま、ゆっくりと一歩ずつ私に近づき正面で止まる。「この街へようこそ。僕はあなたがこの街に来るのを待っていました」とでもいうように少し貌をさげる。扇型に開いた羽には澄んだいくつもの目があり、そのひとつひとつが私を捉える。誰ひとり通らない街で私と彼だけの世界。互いに見つめ合ったまま、どれほどの時を過ごしたのか憶えはない。やがて彼は貴婦人がきれいな扇をたたむように、背中の羽をゆっくり閉じた。そして何ごともなかったように私に背を向け、悠々と開いていた門扉に入って行った。なんなんだ、この街は。私の歓迎セレモニーなのか。楽しいことが沢山ありそうな気がした。
 あれから三十七年。当時まだいっばいあった空き地はもうない。夜になると洪しげに鳴く鳥も棲まなくなったし、野獣のような胞障も車の音がかき消す。引っ越してきた当初は、島流しにあったかと思えるほど辺郡に思えたが、いまは交通の便もよく住みやすい。住み馴れてこそ分かることだが、退っていく街もあれば、繁栄しつづける街だってある。○市は後者だ。-三姉妹のうち、年長の姉は母の逝った歳と同じ九十一歳になる。物忘れはもちろんあるがそれ以外は健康だ。妹ももうすぐ古稀を迎える。三人そろって、おおむね健康ということほど嫡しいことはない。家を買ったころ、私はずっと独身で過ごすだろうと思っていたが、その後、夫となるべき人と出合い、いまはK市に住んでいる。何となく独身で過ごすという感は外れたが、定年まで勤めたし若い社員を指導する役もまわって来た。
 あのときに買った母の揺り椅子に、いまは青い目のアンティーク・ドールが座っている。
 楽しいことばかりがあったわけではない。けれどO市は私たち三姉妹に、そして晩年の母にも住みやすく「縁起のいい街」である。