かわち野

かわち野第七集

春雷

後藤 新治

 午後から降り出した雨は音もなく静かに降っていた。ところが夜になると前触れもなく、いきなりバリバリと言う大きな音がして、何ごとぞと思わず身構えるほどの轟音である。雷鳴と気付くには暫くの時間がかかった。これが春雷と言うものか。3月から5月に発生すると言われるが、まさしく3月下旬のことである。雷鳴に驚き、冬眠していた地中の虫たちが目ざめるという理由で「虫出しの雷」とも言われる。
 ちなみに、秋雷や冬雷もあるらしい。特に冬雷は日本海側で発生することが多く「鰤(ぶり)起こしの雷」といわれ、大漁になるため歓迎されると言う。
 春雷の他に、春霞、春光、陽春、惜春、花曇り、花冷えなどと色々美しい言葉がある。
 我が家の前の公園にある桜もいよいよ蕾が膨らんで、3月も終わりの、ようやく寒さをくぐり抜けようとしている季節になった。もう10日もすれば、公園の7本の桜も咲くだろう。この木は30年ぐらい前に植栽された、多分ソメイヨシノだと思うが、樹齢は60年ぐらいといわれている。日本各地で見られる桜は、特に新興住宅ではこの種のものだと思う。
 江戸染井村に集落を作っていた造園師や植木職人達によって育成された。 エドヒガンと、オオシマザクラ交配で生まれた日本産の園芸品種だそうで、ソメイ村とヨシノ桜から命名された。
 この時期になると、公園では嬉しいことが沢山ある。子育て中の若いママ友が数組、申し合わせたようにやってくる。子供を砂場で遊ばせて、それぞれおしゃべりを楽しんでいる。そのうち子供たちのキャッキャッとはしゃぐ声、時には大きな泣き声、叱るママの声などがごちゃ混ぜになって、それほど広くない公園に響き渡る。それらが2階の部屋から見ることが出来る。その光景を見ながら、彼女らの日頃のストレスなどを、この場所で思いっきり払拭して、わずかな時間でもいいから楽しんでほしいと思う。
 地区の老人会もお弁当を広げて花見をする。僕は自称老人ではないから入会はしていない。仕出しの弁当に、お酒や缶ビールなどで笑い声が広がる。この時だけ仲間に入れてほしい。
 どこの施設かわからないが、障害者の人たちも若い介護士と一緒に楽しんでいる。どうか幸せになって欲しいと祈るばかりである。
 夜になるとご近所の人がライトアップをしてくれる。車の人は徐行したり、わざわざ車から降りたりして見ている。
 たった7本の桜の木が、いろんなドラマを演出してくれる。ソメイヨシノの花言葉は「純潔」「優れた美人」というらしいが、この木には、女性に見立てた優しさを内包しているのだろうか。
 春の季語に「風光る」がある。誰が表現したのか、日本の美しい言葉のベストテンがあるとすれば、ベストスリーに入るのではないか。
 
風光る ほんとうのこと 言いそうに
中原 幸子

 なにか女性の心の糸がほどけていきそうな、そんな切ない解放感に浸る季節だ。しかし、どうして桜の花の寿命は短いのだろうか。穏やかな風の時はハラハラと、風の強い日は花吹雪のように空中に舞う。そして地面に敷かれた花筵へと変わる。やがて若葉になり、青葉へと季節は移ろいで行く。一抹の哀愁を含んで……。