かわち野

かわち野第四集

家族旅行

西村 雍子

 それは何気ない次女洋子との会話から始まった。
「またお父さんと有馬へでも旅行したいね」
「お父さんと三人で、カニを食べに丹後の方へ車ででかけたのは、何年前になるんやろね」
 主人が今の病気を発病する前から、腰痛で旅行には行けなかった。椎間板ヘルニア、脊椎間狭窄症の病名がついて久しい。が、五年前に今のパーキンソン病に罹患(りかん)して、不思議な事に腰痛は影をひそめた。
「お母さん、行くんなら今やで。お母さんも年やし、お父さんも、今やったら行けると思うわ」
 この会話があって二か月ほどして、
『多香子も夏織も一緒に行こうて』と洋子からメールがきた。早速主人に誘いをかけたが、
「行かない、行けるわけないやろ」とつれない返事。
『あかんわ、行けへんて。娘のあんたたちから優しく誘ってあげて』とメールを送る。
 数日後、長女多香子から分厚い封書が届いた。中に誘いの手紙と、ホテルの予約内容の詳細と、部屋やベッド、露天風呂、食事が並んだカラー写真のコピーが入っていた。手紙の内容は次のようであった。
 お父さん お母さん やっと秋らしい季節になってきましたね。三人娘から、感謝を込めて家族旅行のお誘いです。孫一人を含め六人で、11/9(水)10(木)に淡路島の素敵な旅館で予定しています。
 お父さんはきっとあまり乗り気ではないかも知れませんが……。お父さんの病状、高齢のお母さん、私達の諸事情も含め今、このタイミングを逃す手はないと思います。
 パーキンソン病で調べてみると、旅行で美しい景色を眺めたりする時のドキドキ感はドーパミンの働きで、脳に良い影響があるようです。きれいな景色を見て、美味しいご飯を食べて、みんなで楽しい時間を過ごしましょう。
 夏織が車で旅館まで連れて行ってくれます。旅館で車いすも借りることが出来ます。何か心配な事があれば言って下さい。
 お父さん、お母さん、是非、行きましょう。
多香子
 主人の一番の心配はトイレで、外出時いかにするかが問題で、悩みになっていた。娘たちは、外出時でも心配の要らない介護器具まで準備してくれたのである。しかしそれを使用する事は無かった。が、器具と説明書まで送られてきたのには主人も賛同せずにはいかず、その気にさせられたのである。
 一泊二日の旅行は平日を選び、車や旅館の混雑を避けた。主人も急に元気が出て、楽しみにしている様にさえ見えた。
 当日は穏やかな秋晴れで最高の旅行日和である。運転手の夏織は後部のチャイルドシートに一歳半になる息子を乗せ、やってきた。
「お父さんは助手席に、お母さんは凌司君と、チェックインには充分間に合うからゆっくり行くわ」「安全運転でよろしくね」と私達。
「留守にします、よろしくお願いします」とお隣の奥さんにひと声かけ車に乗る。
 ここまでの準備も大変だった。病人、高齢者の旅行なのだ。忘れてならないもの、内服薬、点眼薬、保険証はしっかりバッグに入れる。トイレ用の尿瓶も持参する。いつも排尿時に苦労するので必需品である。旅行用のカートとボストンバッグを車に積んで、一路、淡路島に向かう。
 多香子は千葉から新幹線で新神戸駅へ。洋子は会社から新神戸で姉と合流して、バスで淡路島の洲本へ。そこからホテルのシャトルバスに乗り換えて来る事になっている。
 ホテルは洲本温泉 ホテルニューアワジ。部屋は《全室専用露天付》ヴィラ楽園宙の庭で、このタイプは昨年十二月開業。星と空と海が出会う場所三世代の家族旅行で、我が家の様に〝過ごす〟ことにこだわった空間である。開放的なテラスから海の全景を一望、高階層に位置し、「〝和のスイート〟ヴィラ楽園、わくわくする」がキャッチフレーズである。
 先に着いた私達が待つこと数分、二人の娘を乗せたバスは到着した。
「よかったね、無事到着できたね」「お姉ちゃん遠くからご苦労さんやね」皆が口々に笑顔で挨拶。早速部屋に案内される。主人もゆっくり自分の足でエレベーターに向かう。一見病人には見えない。
 案内された部屋は、《楽陽505》号室。紹介されている通りの広いゆったりした和室である。2メーター×3メーターの一枚ガラスの向こうには、秋の静かな海が広がっていた。しばらく見とれていたが、荷物を片付け次の予定へ。
 夕食前にカラオケ店へ、車とタクシーに分乗して向かう。歌うこと大好き家族のお出ましである。娘達とハモれる歌が次々と出る。「恋に落ちて」「待つわ」次は、シャランQの「いいわけ」「思いで迷子」はチョ・ヨンピル、やしきたかじんの「東京」は主人の十八番である。私はもっぱら演歌を唄う。娘達は各々が今風の歌を聞かせてくれる。驚いたことに洋子持参の仮想用品がその場を盛り上げた。被り物や、楽しい絵の描かれたエプロンや、鳴り物など、孫の凌司君は鳴り物と踊りで楽しんでいる。予定の2時間はあっという間に過ぎホテルへ帰る。
 期待の秋の献立満載、夕食特別懐石がテーブルに並ぶ。家からホテルまでの移動と、カラオケの頑張りのせいか、出てくるものが、次々とお腹に中へ。お造り六種、伊勢海老の姿造り・天然紅葉鯛・細魚・淡路産太刀魚・本鮪中トロ・雲丹は、目と舌を充分満足させてくれた。鍋物、焼物、紅葉鯛の釜飯、最後にデザートが出されて終了する。
 テレビを見ながらゆっくり雑談に興じる。 今度の旅行に娘達の夫や子供達も喜んで出してくれたことや、凌司君が一度も泣かず、お利口さんだったと喜んだりして、娘達は大浴場へ入ると下の階へ出かけた。
 主人は満腹と疲れのためか、休みたいと言う。私が寝る準備を介助して、主人はベッドに入る。私はゆっくり海の見える部屋付き露天風呂へ……。あ~なんと有難く幸せな事だろうと、静けさの中、湯に身を沈めて思う。
 浴衣に着かえ待っていると娘達も帰ってきた。凌くんはママとお布団の中へ。私達はまだまだ眠るにはもったいないと、昔遊んだ、トランプカードと花札をしようとテーブルへ。子供たちが家に居た頃のお正月の恒例行事だったと、懐かしみながら静かに夜中まで遊んだ。
 次の朝、露天風呂にもう一度入ろうと、女性四人で湯につかる。海の向こうに和歌山の山並みが見える。その空が白んできた。きっともうこんな機会はないかも知れない。貴重なひと時である。
 その朝、テレビはアメリカ大統領にトランプ氏が当選したと大きく報じていた。
 朝食も和食にしたが驚くほどの品数と量で、毎朝パン食の私達には多すぎたが、充分食事に時間をかけ楽しんだ。そのあと、帰り支度に取り掛かり、荷物を整え階下のロビーへ。部屋係の優しいお姉さんには、最初から最後までお世話になり凌くんもお姉さんになついて、着物に触ったり後ろについて歩いたり、可愛がってもらった。
 洋子は仕事があるからと、ひと足先にシャトルバスへ向かう。私達はお土産など買い求め、洲本のバス停まで多香子を送り、帰路につく。
 三人の娘達のお陰で家族旅行を無事終えることが出来て、喜びと感謝で今思い出しても胸が熱くなる。主人も元気と自信を得た旅になったように見える。
 帰って来て主人は、「ユニクロへ外出用の洋服を見に行こうか」と言い出している。
おわり