かわち野

かわち野第六集

あほらし屋の鐘が鳴る

坂下 啓子

 私は少しいい加減な家で育った。それには、祖父の存在がかなり関わっている。
 祖父は祖母が亡くなってから長い間独身だった。決して女気がないというのではない。むしろ有り過ぎた。父ともめるのは大概女性問題が絡んでいる。
 ある日の夕飯時の事である。母が、近所で噂話を聞いてきた。祖父が近所の戦争未亡人と良い仲だと。
 父は早速、
「ほんまか? 女遊びもいい加減にしてくれ。玄人さんなら未だしも、素人さんに手だして。まして近所の人に……。見っともないにも程がある」と顔を真っ赤にして怒り、祖父を問い正した。
 祖父はしら~っとした顔をして、何も言わず、箸を置くと急に歌いだした。
一目(ひとめ)、見た時好きになったのよ~。何が何だか、わっからないのよ~」
 顔の横で両手をきらきら星にして自分の部屋に戻って行った。
 父は、
「あ~あっ、しんど。あいつは焼かな治らんわ」
 とため息をつく。 母は、
「な~んも応えてへん。あほらし屋の鐘が鳴る」
 と食器を片付けにかかる。
 私は父が怒り出した時はどうなる事かと気が気ではなかったが、そんなに険悪な雰囲気ではないなと察した。
 兵庫県の須磨に祖父の従兄がいた。その人は銀行員でかなり出世したらしいが働き盛りに急性心筋梗塞で亡くなった。子供が三人いたが、戦後すぐの頃、銀行員は子供が成長するまで恩給が出ると後に聞いた。奥さんは働かず、お金があるのか、ないのか分からないが応接間のある瀟洒な家で優雅に暮らしていた。祖父はいつの間にかその家に通いだした。私が小学一年生位の頃、夏に何回か私と弟を連れて海水浴に行った。その家は電車道を超えるとすぐ海で
「ゆっくり遊んできいや」
 と言われ、弟と疲れるまで遊んだ。帰ると美味しいちらし寿司が待っていた。京都のちらしとは一味違って、須磨の魚類(蛸、鮪、鯛等)は実に新鮮だった。冬には鰻重が出てこれも香ばしくて抜群の味がした。お風呂は板を踏んで入る五右衛門風呂で子供には面白く、たいがいは日帰りだが、一泊することもあった。
 須磨の事は父も母も何故か黙認していた。
 私が小学三年生位の時、祖父は正式な結婚ではないが家に入った人がいた。その人は私に「おばあちゃん」と呼ばせようとしたが、母は決してそうは呼ばせなかった。それで「あーちゃん」と呼んでいた。母が忙しい時は私の学校の参観にも来てくれ、優しく綺麗な人だったのに二年位いて祖父と別れてしまった。私はかなり懐いていたので悲しく辛い思いをした。
 結局、後に祖父は正式に結婚する相手を見つけてきた。その人は元祇園の芸子で、別れてから聞いた話だが「あてらは、品物と一緒どす。祇園や甲部やいうても、結局は売りもん買いもんの世界どすわ」と言ったそうだ。小学校も出ないうちにお茶屋に預けられ芸事を仕込まれたという。女性に弱い芝居好きの祖父はその境遇に心惹かれたのかもしれない。両親もそれは許すことが出来ずその事が原因で、私達家族四人は長岡天神に引っ越す羽目になった。
 秋の夜長、湯船に浸っていると何故か昔の事ばかり思い出す。中々ややこしい家庭環境ではあったが、今では一つ一つが懐かしく、全て良い思い出になっている。