かわち野

かわち野第四集

北海道の山と旅

宮井 一行

 北海道へは会社の出張で数回行ったが、登山や観光旅行とは縁がなかった。
平成六年、定年退職後、三年間延長で働いた。しかし、仕事に余り身が入らず、一九九七年(平成九年)の夏期に永年の念願が実現出来た。
北海道のほぼ中央部に位置し、総面積は約二十三万ヘクタール(神奈川県に匹敵する広さ)の大雪山(だいせつざん)(旭岳は北海道の最高峰=二千二百九十メートルを主峰とする山々の総称)への登山だ。
山全体の特徴として、二千メートル級の山々の数座(山の数を云う)あり、全体的な傾向として、今回の山は上り下りが少なくなだらかであった。
平成九年七月十七日(木)、十時発のシャトルバスで関西空港へ → 新千歳空港行きに搭乗→ JR新千歳駅から急行ライラック号にて乗継ぎ、JR旭川へ。駅弁を仕入れて、層雲峡(登山口)行き、最終バスに間一髪で乗車する事が出来た。
もし、バス乗車が不可だとスケジュールが狂い大変だった。当日は層雲峡(泊)で体を休めた。翌日は朝五時起床して至急二食分の弁当を受け取り、大雪山層雲峡ロープウェイ駅へ。
すでに登山者が大勢でにぎわっていた。
 ロープウェイとリフトを乗り継いで黒岳七合目(六時三十分)に着く。緩やかな登りの大雪山系の踏破の開始だ。
最初は好天無風に恵まれて高山植物の群生した咲く花の美しさと広大な広さに圧倒された記憶がよみ返った。(例 キバナ、シャクナゲ、コマクサ、チングルマ、ツガザクラ、…)暫らく登ると最初の黒岳(千三百二十メートル)に着く。
横風が段々と強くなり、ジャケットを身に着けて、風除けを求めて一時休息をとる。
二時間十分程歩いて、北鎮(ほくちん)(だけ)(北海道第二位の高峰=二千二百四十四メートル)に着く。
広々とした草原から突然現れたキタキツネも物乞いしさに近寄って来た。
お花畑では氷河期の生き残りと云われるナキウサギも見る事が出来た。
歓迎された様に勝手に思った。
それから中岳(二千百十三メートル)間宮岳(二千百八十五メートル)を一時間で、上ったり下ったりをくり返しながら平凡な登山道を登る。
いよいよ目的地の山=現在なお近くで噴煙を上げる旭岳はこのルート一番の標高差(=二百メートル)の登りに直面した。
大雪渓(雪原)は急登りで、急遽アイゼン(滑り止めの爪)の着用に手間取った。
そのうえ北海道特有の雲行きが悪くなり、雨具(雨用と寒さのため)を着用した。
(みぞれ)が降り始め最悪の状態での登りを再開し、悪戦苦闘の上、どうにか長い長い雪渓を踏破し、いよいよ頂上近くのガレ場、小岩の山肌に再度の苦戦だ。
二歩登って一歩下がる状況がしばらく続いた。まもなく薄いガスに包まれた中の山頂だ!!
余り広く無いが大勢の登山者で賑やかだった。雪渓やガレ場だけで二百メートルを一時間二十分費やした。総登山時間は四時間十分を要した。
本州の南、北両アルプス、中央アルプスの登山に比べて高低差が少ないだけに短時間の登山だ。 旭岳山頂から下山はロープウェイで旭岳温泉(泊) → 旭川駅 ()()()() 稚内駅前(泊)、稚内港よりフェリーで二時間の船旅で礼文島着、観光バスで島巡りをした。
さすが北西北海道の島は真夏(現在は異なる)の丘陵地で、二百種以上の高山植物(例 レブンアツモリソウ、レブンコザクラ、レブンウスユキソウ、シナノキンバイ、ツボスミレ、エゾカンゾウなど)の花が咲いていたのに驚いた(平成九年時)。
 名所の礼文岩、礼文滝も見物した。隣の利尻島へはフェリーで(一時間十分)接岸後港の近くで宿泊する。
 利尻島は観光無しの利尻岳(富士山に似て利尻富士)登山のみにした。
朝六時に出発して登山口から三合目迄は車で行き → 五合目迄は単調な登りであったが、
六合目から八合目あたり迄が最も急登りだった。
その後(八合目~頂上までは尾根沿いに登る)山頂へ登るにつれガレ場や溝状にえぐられた道が多くなった。気流、強風等で天候が変わりやすく(今回登山の前日は強風で登山禁止だった)所要時間は三合目から頂上迄の登り=六時間強、下り=四時間弱だった。(おし)泊港(どまりこう)(利尻島)からフェリーで(二時間十分)稚内港 → 稚内駅 ――寝台車――札幌駅へ、札幌(南口)駅前より、緑に囲まれた都会と田舎の両方を共有している街だった。
夏は芝生の緑とお花畑、冬は雪の白一色(純白)の市街地の中心部である大通公園(広大な広さは火災の延焼防止の為だった)。
 公園の広さは巾=百五メートル×長さ=千五百メートル(長方形)のグリーンベルトで噴水や季節毎のお花畑は見事で素晴らしい。道民や観光客の憩いのスポットだ。
 一八七八年(明治十一年)の有名な言葉「青年よ大志をいだけ」のクラーク先生の札幌農学校(現在の北海道大学)の時計台(札幌市時計台)は当時へのタイムスリップを感じさせる。次はポプラ並木(二十年前は素晴らしかった)が現在は強風や台風で当時の半数以下となり見る影もなく北大構内(現在は倒木の危険の為立入禁止)は淋しい限りだ。僅か二十年余りの歳月で変り果ててしまったが……。
私は気持を入れ替えて今後も前向きに前進したい。