かわち野第十集
土に親しむ
西村 雍子
今日も冬空の天気を気にしながら畑に出掛ける。このような毎日が、いつから始まったのか。一年中空を気にしているのだ。田畑の多いこの地に越してきて五十年近くになるが、畑を借りて、鍬を持ち、土に触れることが出来る楽しみを覚えて四十年近くになるだろうか。
最初の思いは、家族の為に食費の助けになるのと、欲しいものが沢山得られるのではないかという、大家族を抱えての主婦の浅はかな考えからであった。
第一に場所が家の目の前にあり、第二に、娘の友達のお母さんが、場所を空けて下さり、有難いことに何の苦労もなく畑が使えるようになったのである。
初めに何を植えたのか、何の種を蒔いたのか覚えていない。今も毎年収穫している薩摩芋はホクホク味の鳴門金時で、主人の好物であり、子供達にも喜ばれた作物の一つである。
私が広い田や畑を、初めて見たのは、小学一年疎開先の伯母の家に行った時である。
鍬を持つのも、上級生の頃、田植え前の準備で、田の周囲の土を細かく砕く。水が流れ出るのを塞ぐための、唯一子供にできる仕事があった。その時以来、鍬を持ったことも、持つ必要もなかった。
今借りている畑は、三ヶ所目である。最初の家の前にあった畑は、子供達が成人して家を出て行った頃駐車場になり、二番目の畑は、昨年の三月に宅地に変わったので、今の場所へ。有難いことに、最初から今まで、土地の持ち主は変わらず、途絶えることなく、土地を使わせてもらっている。
「使ってもらうと、草が生えて困るのを助けてもらえるから」と、無料で広い場所を借りている。しかし、その土地はもう何年も使われてなくて、掘り返して畑の畝を作る事からの始まりであった。小石や草を取り除くのも苦にならず、畝を作った。
昔伯父に、畑を借りて野菜を色々作っていることを話した時に聞いた言葉を思い出した。
「雍子、人は土になじみ、土に親しむことは、大事なことやで」
今の畑は土地の一辺が、車や人が通る道路に面しているので、通る人が話しかけて下さる。
「好きなんやねぇ」
「上手やわ、男の人に負けてへんでぇ」
お褒めの言葉をいただき、悪い気はしない。
最初は、人に教えてもらい本を読んで、一生懸命だった事が、今では懐かしく、特に進歩も無く、恥ずかしくさえある。
公民館での二つの教室の皆さんには、喜んで貰っていただき、作物を捨てることが無く、有難く思っている。
お陰で、身体に無理無く、畑に出掛けることが運動になり一挙両得のようだ。
もう少し頑張ろう。
身体が動く限り、伯父の言葉をこころして。