かわち野第十集
AIと「あれ」
岩井 節子
大阪南医療センターで、車椅子の患者さんを受付まで連れて行くなどのボランティアをしている。令和六年、新年早々患者さんとの会話で「あれ」をやってしまった。
「あれ、あれを貸してください。あれしますので」と手を差し出す私。
「あぁ、あれですね」とにっこり笑って診察券を渡してくれた車椅子の奥さん。すかさず、「岡田監督のあれですね」と言って笑いながら車を駐車場に止めに行ったご主人。(ちょっと違うけど、お気遣いありがとうございます)
家族や友人、ボランティア仲間の間でも頻繁に出てくるようになっていた「あれ」をついに患者さんに言ってしまった。それにしても患者さんにも笑顔で通じるのだから、「平和な世界だなあ」などと感激して、ほかのボランティアさんに面白がって話したのも束の間、恐ろしい事実に気が付いた。この調子では私はすでに認知症予備軍である。いくら今までもそうだったからと言って、いつまで通用するやら……。安心できない。このままボランティアを続けていて良いのだろうか。他のボランティアさん達も高齢になってきている。
一人不安を募らせていた翌日。新聞の記事に、介護現場でもAIを利用するようになると書いてあった。人口は減る。高齢者は増える。いろいろな現場でAIの機能を持ったロボットを活用しなければやっていけないのだろう。AI搭載ロボット相手に「あれ、あそこのあれ」で通じるのだろうか。ボランティアもロボットに変わっていくのだろうか。
いろいろ考えているうちに二〇〇八年に公開された映画『ウォーリー』を思い出した。人類に見捨てられ七〇〇年経ち、ゴミだらけになった二十九世紀の地球。そこでひたすらごみを集め続けているゴミ処理ロボット「ウォーリー」。
長年、一人で作業を続けるうちにシステムエラーを起こしてしまった「ウォーリー」は感情を持つようになり、宇宙船から送られたロボット「イブ」に恋心を抱くようになる。そして「イブ」が宇宙船に連れ戻される時、必死で宇宙船にしがみつき、宇宙船に入り込む。宇宙船の中には、コンピューターに操られ、歩くことも働くこともしなくなり、椅子に座ったままの生活でぶくぶく肥え太った人間たちの姿が……。しかし「イブ」が持ち帰った緑の植物が育つのを見て、感動する心を思い出した船長自らがコンピュータシステムを停止させる。皆も自分たちの力で動く大切さに気付き歩き出す。
近頃出没しているスーパーやファミリーレストランのロボットに話しかけたり、お掃除の邪魔をしてみても、何も言ってくれない。ただ黙って違う方に行ってしまう。
しかし、映画の中の「ウォーリー」のように健気で、優しい心を持ったロボットなら人の心の内も察してくれそうである。
そう遠くないそんな日々。寂しいような気もするが、その後には、どんな世界が待っているのだろうか。ちょっと覗いてみたい気がしている。
――AIに「あれ」や「これ」やと話しかけ――