かわち野第十集
一緒に泣いてくれる人がいる
坂下 啓子
大昔見た映画で、印象に残っているのは洋画では「ベンハー」「風共に去りぬ」「アンナカレーニナ」等がある。日本映画では数え切れないが、木下惠介監督の「二十四の瞳」「野菊の如き君なりき」は忘れられない。
特に「二十四の瞳」の中に、今思い出しても眼の奥が熱くなるシーンがある。
悲惨な境遇の貧しい子供達を前に大石先生が泣きながら、
「先生もどうしていいか分らないけど、その代わり泣きたい時は、先生の所にいらっしゃい。一緒に泣いてあげるから」と言う。
戦後この映画を見た多くのアメリカ人は「 一緒に泣くだけで何になる。何の解決にもならない。その問題を解決してこそ先生じゃないのか」と言ったそうだ。
この先生の気持ちは多くのアメリカ人には解からない。日本人の私には痛いほど解かるのだ。辛くてどうしようもない時、心から一緒に泣いてくれる人がいるのと、いないのとでは、天と地程の差がある。その人がいてくれる事がどんなに心強い事か。そして、それがその子達の一生の支えになる事だろう。
最近見たユーチューブの中に「二十四の瞳」を見た六歳の男の子の映像があった。小学校を中退して食堂で働いている松ちゃんに、大石先生が修学旅行の合間をぬって会いに来る。叱られながら働いている松ちゃんを励ましながら別れを告げる場面を見て、その子が「松ちゃーん‼」と大号泣していた。この子にも日本人の血が受け継がれているのだと思い嬉しかった。
私はこの繊細な気持ちを持つ日本人に生まれて来て良かったと、つくづく思っている。
先日、女学校時代から五十数年来の付き合いのある友人と一泊旅行に出かけた。私が、遠出が出来ないので、石切のホテルを予約してくれた。
彼女とは学生時代から、二人だけで、女性同士で三、四人、又夫も交えたグループでと今まで何回旅行したか覚えていない。彼女は今も独身だが、何回か縁談を世話したがまとまらなかった。夫と結婚した経緯も全て知っている。
このホテルは割安で、石切り駅から歩いても徒歩五分の所なのに、バスで迎えに来てくれる。夕飯には懐石料理は飽きているので、鉄板焼きを注文してくれた。
美味しい前菜が出た。本番はシェフが和牛に鯛、色々な野菜を客の前で焼いてくれる。余りに美味しすぎて、ジンジャエール(ノンアル)を二杯も飲んだ。ふたりでこれは正解やったねと大満足した。
部屋に帰って、お互い私の病気のはなしは避けていた。色々昔話をしていたが、
「私なあ、私の担当の腫瘍内科の先生合わへんねん」と言ってしまった。
「女医さんで6歳と4歳の子供がいてて、何時もなんかイライラしてる様にみえる。家庭も忙しいやろうし、多くの患者さん抱えてすごく大変なんは理解できるのやけど時々毒吐くねん。初めての診察で、
「『後何年生きたいですか』て聞かれて、咄嗟に色々後始末の事考えて、無理かなと思いながら、五年は生きたいです、て言うてん」
「なんやの! その先生。気ぃ悪いな。それにしても、あんたアホちゃうか。なんで十年て言わへんの」
「十年て言うて十年生きられるのやったら言うわ」私も返す。
「心配せんかて、あんたは死にそうにない。旦那も含めて不死身の家族や。最近よう肥えてるしなあ」と私をまじまじと見る。
「あんたに言われとないわ」
友は150センチで64キロもある。ふと友の眼を見ると赤い。私の為に泣いているのだ。嬉しさが込み上げて来た。彼女を抱きしめ泣きたい衝動にかられたが、この場をしめっぽくしたくなく止めておいた。又お互いそんな柄でもない。
「こんな事言うて、あんたより長生きする気もするねん。そうなったらごめんな」
「ほんま怒るで。私も身体、色々悪い所あんねんから」と友は鼻声になった。
明くる日、難波でオシャレなランチを食べ、喫茶店で大いに話し、大きな百均の店に寄って、無駄買いして4時ごろ別れた。
私にも家族以外に、本気で心から一緒に泣いてくれる人がいた。