かわち野第11集
遺 跡
三浦 佐江子
2023年春、高向遺跡の発掘調査が始まった。河内長野市のほぼ真ん中の地で、我が家から歩いて10分ほどだ。
翌年秋になって、調査の説明会が高向の公民館で開かれたので参加した。市の〈ふるさと歴史学習館〉太田宏明館長に古代から江戸時代の歴史と暮らしについて教わり、発掘現場に移動して調査員の女性から説明を受けた。
河原で拾えるような石が散乱している場所で、
「このあたりに石積みの跡が残っています。その傍に溝があり、何らかの建物があったと推測できます」と。
その近くにある羽釜を指し、
「この釜は、発掘されたときの状態で土の上に置いています。中に割れた土器が入っていて、祭事で使われたものと思われます。まだ発掘途中なので、 何が出てくるかわかりません」などと解説した。
受講している文章講座で、その時のことを書いて提出すると、メンバーからどうして溝があるとわかったのですかと聞かれ、答えられなかった。歴史好きを自認していた私なのに。
歴史に興味を持ったのは65年前の小学生の時。郷土史の研究をしていた教頭先生の案内で中世の山城跡を歩き、歴史上の人物がいたことを実感した。そして同級生に、楠木正成が兵法を学んだと伝えられる大江時親(ときちか)の子孫がいた。今は非公開だが、時親邸の蔵を見学させてくれた。鮮やかな赤、黄、緑といった色糸で作られた美しい鎧や兜と共に、ぼろぼろになったものもあった。整然と並べられた弓矢や光を放つ刀剣で、戦の恐ろしさを感じた。
中学生になると、歴史の先生が難波宮の発掘現場に連れて行ってくれた。深く掘られた広い場所を見渡すと、どんなことが解かるのだろうかとわくわくし、発掘の仕事にあこがれたこともある。
遺跡調査が終了すると、頭の片隅に引っ掛かっていた溝の根拠について、知るチャンスが来た。〈地域まちづくり会〉の企画で、太田館長から「遺跡発掘の成果について」聞けることになり、30人ほどのメンバーで〈ふるさと歴史学習館〉に出かけた。
太い黒縁眼鏡をかけた館長はさほど個性の強い人ではないが、歴史を語り始めると目がきらきら輝き熱意が届く。
この地に赴任して、調査に関われた喜びと感謝を伝えて、話し出した。
高向の地は、大化の改新に寄与した高向玄理(たかむこのくろまろ)が住んでいたとされる。玄理は小野妹子らと共に遣隋使として海を渡り、その後も遣唐使で行ったが、帰国できずに唐で没した。このことは歴史通には、よく知られている。
この地域は古くから米が収穫できたため、朝廷との結びつきがあり、平安時代には天皇直轄の荘園だった。土地は朝廷から耕作人に貸し与えられたが、干ばつや連作で米が取れなくなると耕作人は別の場所で開墾するか、逃げ出すこともしばしばだった。
当時の村は散村で、現在のように家々が密集していなかった。庶民の家は簡素な造りで、板葺きの屋根に板で囲い、家の中は土間造りで、寝るときは藁やゴザを敷いていた。
簡単な家は災害が起きても、すぐ立て直すことができた。子どもは成人すれば家を出て独立した。
江戸中期以降になると瓦葺で土壁の立派な家が建てられ、跡を継がせて代々農業に従事できるようになった。
館長はこのような解説の後、参加者から質問を受け付けた。
米を作っているメンバーが訊ねた。
「苦労して開墾した田を手放し、別の場所で耕作する理由は」と。館長は、すぐに答えを言わない。
「当時は今のような便利な肥料はありません。その頃の肥料は」と逆に問う。
「人糞や尿ですか?」と会場から声が上がる。
「いいえ、人口が少ないので量が足りず、里山の落ち葉などを堆肥にして使うのです。無くなればまた別の場所を探して、移動します」と回答した。
発掘場所に溝があったことを知るチャンスだ。決め手の根拠を聞いてみた。
ここでも、
「地表の土の色は」と館長は私に問う。
「濃い茶色です」と答える。
「そうです。でも溝を作るのに深く掘ると、黄色の土の色なんです。溝は使い続けると泥や木の葉などで埋まるので、絶えず掃除をして掘らないと使えません。ですので黄色い土が通っているのを確認し、判断するのです。例えば他の遺跡で難波の宮遺跡の発掘データーなどから分かります」と、教えてくれた。
──なるほどデーターの蓄積なのか。ようやく腑に落ちた──
講義に続き、館内の狭い展示展示場に案内された。発掘品がケースに並んでいる。
「この割れた器は、遺跡から出た羽釜の中に入っていたものです。黒い色の茶碗は、元は茶色の素焼きだったのが、火事で持ち出せずに焼け焦げたものです。素焼きの器は庶民のものですが、きれいな緑色釉薬がかかった破片は位の高い人のものです」
──様々な階層の人たちが行き来した地域だっのだ──
発掘で分かることはまだまだあるに違いない。けれど高向遺跡は今では埋め戻されトンボが飛び交う田圃や畑は消えた。目に入るのは何台もの重機がエンジン音を響かせ整地をする光景だ。そこに大型商業施設などが建つという。
遺跡からタイムトラベルできるだろうに、複雑な思いが残る。