かわち野第11集
100平米の小宇宙
岩井 節子
我が家の玄関の軒下に初めて燕が巣をかけてから20年くらい経つ。最初に巣を作った時、成長して飛び立つ寸前の雛たちは蛇に襲われ、1羽だけが下に落ちて生きていた。
私はその雛を「ピーコ」と名付け、ピンセットやスポイドで餌をやったり、水を飲ませたりして家の中で育てていた。ある夜、枕元にピーコを置いて寝ている時、かたんと音がしたので飛び起きて玄関の方に行くと、大きな蛇が下駄箱のところにいた。大声を出して主人と息子を起こし、蛇を捕まえて川に捨てて来て貰ったのだが、家の中までも雛を狙って入り込む蛇の執念深さに驚いた。
ピーコは可愛くて、掃除機をかけている私の後ろからピョンピョンついてくるほどに成長した。もうそろそろ自然に帰さないといけないかなと思っていた矢先、家人がうっかり扉を開けていた隙に外へ出てしまったらしく、玄関先で死んでいた。買い物から帰った私がびっくりして声を上げると、当時飼っていたハスキー犬の「ガク」が横目でちらっと私の方を見ては目を逸らす。悪いことをして怒られるときの表情である。彼も遊ぼうとして大きな前足でちょんと押しただけであろう。「ガク」も驚いただろうと思うと、怒ることもできずただ涙を流すしかなかった。
それから毎年まいとし待ち続け、子供たちも巣立った後、6年位前にやっと燕が巣に戻って来た。今度はいろんな場所に蛇除けを置き、柱にも上れないように工夫して巣立ちに備えた。その甲斐あってか無事に雛の巣立ちを見守ることができた。雛たちが遠くへ旅立つまで毎日、電線に止まってぴいちくお喋りする燕たちに話しかけ、こんなにも嬉しいものかと思うくらい幸せな気持ちだった。
そして今年。令和6年6月初め。また燕が戻ってきた。親鳥を巣で見かけてから度々、そーっと扉を開けては雛はまだかと、夫と2人してその孵化を楽しみにしていた。じらしにじらされてやっと雛が孵化した。可愛らしい様子を見られるようになって、娘にもスマホで撮った写真を送って間なしに、買い物から帰って巣を見上げても、雛のいる気配がない。糞も出かける前より増えているように見えない。夫と2人して扉をたたいて音を出したりしても、いつもはちょこっと顔を出す雛が全然顔を出さない。小さな蛇を見たのに、小さいから大丈夫だろうと、取り敢えず簡単な蛇除け対策をしただけで買い物に行ってしまった愚かさ。娘が強烈な蛇除け剤を買ってきてくれたのだが後の祭り。雛たちを殺してしまった悲しみはなくならず、万が一の巣立ちを期待して、空を見上げては雛の姿を探してしまう日々が続いた。
降り続く雨も手伝ってぼんやりと過ごしていたある日、庭の花に1匹のさなぎがぶら下がっているのを見つけた。大きな毛虫がいるのを知りながら、捕りもせずに放っていたのがさなぎになったらしい。紫陽花は花時を過ぎ色褪せ、プランターに植えていたトマトは青いままほとんどの実が落ちていた。秋明菊だけは勢いよくはびこり、酔芙蓉が枝葉を伸ばし始めている。もうすぐひまわりも花開くだろうし、朝顔や風船カズラも可憐な花をつけてくれるだろう。
たった100平米の小宇宙に、現代人の2人に1人は罹るという癌を患った主がおり、小さな生物達が訪れ、草花は根を生やす。自然界は時に優しく、時に残酷である。
今度燕が帰ってきた時、この小宇宙はどうなっているのだろうか。私も主人も元気で、もう一度その姿を見られると嬉しいのだが。