かわち野第四集
値段のつかない話
徳重 三恵
「開運なんでも鑑定団」というテレビ番組があり、夫はこの番組が好きである。
意気揚々、自信満々の人が持参の壷や掛け軸を鑑定してもらうため登場する。司会者はこの持参の品がどういう経緯でいまここにあるのか、会場にいる人やテレビの視聴者にも面白おかしく伝える。
退職金のほとんどをこの壺を買うのに当てたとか、奥さんに内緒のヘソクリで買ったとか。それも一万や十万の金額ではない。家の天井から出てきた掛け軸や、玄関先の傘いれに使っている壷などなど。
本人の願望している三十万円が、名立たる鑑定士による見立ては、
――ジャジャーン 千円です――
まことに精巧につくられた贋作ですね。いままで大切にしてこられたのですから、これからも飾って楽しんで下さい――。
持参した人はさほど落胆の顔を見せず、会場も笑いに包まれる。
実は私にも鑑定してほしい品が二つある。
一つは実家の掛け軸である。幅広の軸で中国の蘇州あたりを描いた水墨画で、この軸を掛けると家の中が暗くなり寒さを感じた。全体が灰色で、薄墨なのか汚れなのかはっきりしない。漢詩が左上部に書いてあり作者名と落款、もうひとつ印判が押してある。
この掛け軸は父の若かりし頃、すこしばかり裕福に暮らしていたときに買ったらしいが、肝心の作者を聞き漏らしている。
母は四季それぞれに床の間の軸を掛け替えた。正月は海から昇る神々しい朝日の絵を、春から夏は竹、冬になるとこの軸が掛かったので、余計に寒さを感じたのかも知れない。
姉が茶道を教えるようになってからは、茶軸を掛けるようになり、作者のはっきりしない水墨の軸は出番がなくなった。お蔵入りとなったあの掛け軸を鑑定に出して見たい気はあるが、テレビ番組に出場するほどの勇気はない。万が一に出たとして、
――ジャジャーン 千円です――
せいぜい、こんなものではないかと推測しないでもない。
あと一つは、わが家の納屋に眠っている品である。納屋と言っても立派なものでなく、いわゆる庭の隅っこにある物入れで、その中に放り込んである水彩画だ。
この絵には少し面白いというか、アホかいなという話がついている。
かれこれ三十五、六年ほど前になろうか。 その日、私は外出中で家にいなかったので、後から聞いた話になるが……。
神戸に住んでいる義兄が、河内長野のわが家に泊りがけで遊びに来ていた。二人で囲碁をしていると玄関のチャイムが鳴り、出てみると若い学生とおぼしき男が立っている。
「僕は画学生の○○で、アルバイトで生活しているのですが、お金が無くなったのです。僕の描いた絵ですが、これを一万円で買ってください」
と門口で言った。義兄も夫も、貧乏や苦学の話になると一時間や二時間では語り尽くせないものを持っている。
「おまえ、買ってやれよ」
義兄のそのひと声で買った水彩画は、絵の才能などない私でさえも、上手とは思えない。絵の隅には、かざりのように下手なサインがあり、彼が持参した額に入っている。
義兄はすでに鬼籍に入っているし、夫も学生○○の名前を忘れている。ひょっとしたら、今は一号ウン万円の画家になっているかも知れない。その初期の作品がわが家のあの絵であるなら……。
「開運なんでも鑑定団」の鑑定やいかに。
私はこの兄弟二人の、どことなく似通った性格ならではサモアリナンとも思え、主婦なら絶対に考えられない大判振る舞いをした、なんともゆるい話が好きである。
この話には当然だが値段は付けられない。