かわち野

かわち野第五集

靴下を食べる靴

徳重 三恵

 私は奇妙な赤い靴を一足持っている。
 その靴を手に入れるまでには靴屋を何軒もはしごをした。なにしろ何十年と連れ添った外反母趾の両足に合う靴は、おいそれとは見つからなかったからだ。
 店員の言うままほんの十数歩ほど店内を歩き、足入れの良さと何となくの履き心地を確かめただけで買った。だからなのか、その奇妙さをすぐには気付かないでいた。
 私は毎日出かける生活をしているわけでもないし、ましてや、おなじ靴を履いて出ることもない。けれど、何となくこの赤い靴は履き心地がしっくりこないなと、外出の度に感じていた。
 家を出て三分ほどのバス停まで来ると靴下が脱げ始め、かかとが素足になってくる。「ウン、なんだ?」と立ち止まって、ぐいと靴下を引っ張り上げるが、また三分も経たない間に同じ状態になってしまう。
 そしてふと気付いたのである。この靴の癖を。なんと靴下を食べるということを。
 私の靴下は夫のそれよりも臭くはないはずだ。それが気に入ったのだろうか。
 いうなれば、もぐもぐと味を楽しむがごとき喰いっぷりである。いつも、かかとの部分が丸裸、いや、まる素足になってくる。ということは、爪先から食べはじめ最後のお楽しみと、かかとに移ってくるのか。
 外反母趾のおさまりと、赤い色もほどよくて、いい靴に出会ったと思って買ったのに……。でも、こんな嗜好がある靴と、これからも付き合って行くのかなと思うと、ちょっと複雑なものがある。
 ところで、どの靴下も好きで食べるのかと言えば、そうでもないことが分った。彼女とも言うべき、この赤い靴にも好き嫌いはあるらしい。
 丈の長い靴下は嫌いらしくて、たびたび引っぱり上げることはない。それに比べて丈の短いものはすぐに食べ始める。
 なんなのだ。この違いは。
 下駄箱にしまい込んだ新品同様の赤い靴に、
「アンタの悪い癖さえなければ、私はいままでの靴の中では一番好きな色で、気に入ってるのよ。でもね……」そう心のなかで語りかけた。そして、もうかなりクタバッテいる黒い靴を履いて出かけることになる。
 さて、先日この靴を買った店に立ち寄った。履き心地のいい赤い靴がやはり欲しいのである。応対の店員に件の話をすると、
「ああ、そんなこと言って来られる人はたまにいますよ。かかと部分と靴の後ろのカーブ、そして靴下の反りが合わないんですよ」
 と、いとも簡単に判定を下した。
 ようするに靴も靴下も悪くはない。ただ相性が悪いだけのことらしい。
 相性ね。なるほどそうかも知れない。
 馬には乗って見よ、人には添って見よ。
 靴には靴下をはいて見よ。
 ということらしい。
 相性で思いつくことがある。
 私はTシャツやブラウスなどの衿先に必ず付いている製造名の入ったタグとの肌合いが悪い。下着だってそうだ。
 痒いしチクチクと痛いしでこまってしまうので、はじめからタグを切り取ってから着るようにしている。ハサミの先でチョンチョン切っているうちに、ついうっかり縫い目でないところに刃を入れてしまったりする。そんなことで、まだ着てもいないうちに新しい服を傷物にしてしまうことがある。
 多くの人には何でもないことが、自分には不快や不満であったりすることは結構ある。
 それも、つまり相性が悪いのだろう。
 下駄箱に納まったままの赤い靴も、たまたま私のかかとと、そしてまた靴下との相性が合わなかっただけで、私以外の人なら良かったのかも知れない。
 彼女を奇妙な靴とするには不憫かと思う。
 私は性懲りもなく、相性のいい赤い靴を見つけたくて、また靴屋のはしごをしている。