かわち野第六集
吉野山
山田 清
近鉄・吉野駅に着いたのは、正午過ぎだった。
四月五日、平年であれば今が盛りの平地の桜は、すでに葉桜のときを迎えていた。開花の早かった今年の桜を見損じた人、季節を惜しむように何度目かの桜見物に訪れた人達が、駅頭に溢れていた。
下千本からはじまり中、上、そして奥千本と時を経て咲き進む、世界遺産・吉野山の桜。私にとって、念願の吉野行きであった。
すでに、奥千本行きのバス停には、長い人の列ができていた。人並みを見て(歩き疲れた奥千本からの帰路に、バスで帰ろう)と決めた私は、いただいた吉野山回遊地図を手に歩きはじめた。
駅からすぐの下千本は、いきなり七曲りの急坂だった。
平地と同じの下千本の桜、やはり花ビラは少なかった。蛇行の道にアジサイの花、もう次世代の新芽が出ているのに、越冬アジサイは未だ昨年の花をつけている。この枯れたアジサイの花、季節はもうすぐなのに、どうなるのだろうか。七度まで花の色を変えるアジサイ、ひときわ自己愛の強い花なのだろう。
赤い橋を渡ると、金峰山寺までの道の両脇は、土産物店、旅館、食べ物屋さんなどが、びっしりと並んでいた。平日午後の吉野は、登る人と下る人とで混み合い、都会と同じ繁華街のにぎわいだった。
修験本宗の総本山である金峰山寺に参拝、安土桃山時代に再建された蔵王堂、大修理中の仁王門、いずれも国宝である。社寺に立ち寄り、中千本、上千本の風景によいながらの花街道を、奥千本まで登った。桜は、満開だった。
そして、やっとケーブルバス乗り場についた。
吉野駅までバスで帰る予定だったのだが、最終便は午後四時発、とっくに過ぎていた。標高約七百五十メートル、今来た道を歩いて下らなければならなかった。春が来て陽差しが伸びたといっても、山あいの日暮れは早い。登り道で疲れ切った両脚に、自らの軽率を詫びた。
急ぎの帰り道となった。
なぜ急に思い出したのだろう、吉野と言えば、悲劇の英雄源義経とその主従、そして静御前の歴史物語が、帰り道の歩みをつないでくれた。しかし若い二人連れに追い越され、どんどんと離された。車に会うことさえ嬉しい、暮れてゆく狭い山道。ウグイスだけがしきりに「さよなら」を言いながら見守ってくれた。
急ぐ足を止めて、上千本の花影から眺めた格別の風景があった。幾重にも重なる黒い山々、そしてひときわ大きい大和葛城山と金剛山の墨絵のような夕景に、神聖さと神秘を感じた。
歩行者天国が終わり、解放された花街道に車両が通る。
シャッターを降ろそうとしている、土産物店に入った。
「遅くからすみません。葛菓子を一ツください」
「いいえ……。ありがとうございます」
料金を支払い、お菓子を受け取る。
「気をつけてお帰り下さい」
やさしい女性の声に送られた。
あんなに賑やかだったのに、もう吉野の山が、眠りについた。
古稀も過ぎ体力も脚力も衰え切っているのに、相も変わらず好奇心だけが旺盛で困りものだ。無計画な旅の危険を、自らに言いきかせた。
七曲がりの街灯の光の中を、下千本の桜の花ビラが舞う。私は、ただ黙って下った。
「今日見ても明日も見たくなる桜花」 きよし。