かわち野

かわち野第二集

古い記憶

江頭 哲子

 私の一番古い記憶かもしれません。鮮明に覚えている出来事があります。私は、父と一緒に父の妹の結婚式にでかけました。結婚式なので写真が残っています。三歳の頃です。
 お小遣いをもらって帰ってきました。父から、そのお小遣いを母に渡すように言われ、「もらった」と手渡すと、母はそれをたんすの一番上の引き出しにしまいました。私には手の届かない場所です。
 私は、たんすの引き出しを見上げて「私のお小遣いはあそこにある、あそこにある」と思い、何日か経ったある日、そのお金を出して欲しいと母に頼みました。母は怒って「いつまでもそんなものがあるはずがないでしょう」という意味のことを言ったのです。私がその時泣いたのか、怒ったのかは覚えていません。
 しかし、母が怒ったことはハッキリと記憶の中にあります。
 もう一つ古い記憶です。父が私に出かけるから着替えるようにと、さくらんぼの模様の付いたワンピースを出してくれました。その頃の私のお気に入りです。着いたのは病院で、看護婦さんが笑顔でリンゴをくれました。遠い記憶ですが看護婦さんの顔をぼんやりと覚えています。手に持っていたリンゴをたまたま通りかかった子供に渡してくれたようでした。
 病室で母は穏やかに笑っていました。母の隣には赤ちゃんがいて、難しい顔をしていることが多かった父がその時は嬉しそうでした。弟が生まれたときです。これも三歳のころです。
 記憶って不思議だなと思います。父と出かけた結婚式の様子は何も覚えていません。汽車に乗ったはずなのに、そこも覚えていません。
 母と弟が退院してきた日のことも、その後しばらくの間の弟の様子も記憶の中にはありません。切り取ったように父と家に帰ってきたこと、引き出しを見上げていたことと、母が怒ったことを思い出します。
 どういう選択で、この二つの出来事が鮮やかに残っているのだろうと思います。もっと嬉しい事や悲しい事、怖いことはあったはずなのに。
 父は昭和二年生まれです。寡黙が美徳だと思っているのか、自分の話は殆どしませんでした。両親を早く亡くしたので家族と兄弟と生まれ故郷の長崎を大切にしていました。脳梗塞で倒れましたが、リハビリを続けて大きな後遺症は残りませんでした。
 母は父より九歳年下で、母の十六歳の誕生日、九月二日が結婚記念日です。私は次の年の七月生れで、母は十七歳になる前に私を生みました。年の近い母と私は度々反発しました。そんな母もまだまだ元気です。
 これからも、両親とこの古い記憶を大切にして生きていこうと思います。