かわち野

かわち野第九集

小春日和

黒江 良子

 二〇二二年十一月の小春日和のある日、二人はやって来た。
 四年前に亡くなった長兄の奥さん、つまり義姉と東京に住んでいる姪の公美子。
 夫の腰の手術後、見舞いに行きたいと言ってくれていたが、コロナ禍で会う機会が叶わず少し感染者が減少状態になりやっと実現したのだった。
 手洗いとうがいを済ませて「りょうさま、良子おばちゃん、こんにちは」と挨拶をした。
 姪は夫の事を叔父さん、おっちゃんではなくいつの間にか名前に様を付けて呼んでいる。私たちは姪を小さい頃から「くーちゃん」と呼んでいた。

 四十三年前、兄はかけがえのない長男を柔道の試合中の事故で亡くし、兄の悲しみと喪失感が私の胸にもひしひしと伝わって来た。
 その後、兄は知らず知らずに長女のくーちゃんに厳しく接してしまったようで、それに反発する日々があったという。
 夫と娘の溝の深さを傍らで見ている義姉の辛さをも思った。
 私は三人の袋小路に追い込まれている様子に成すすべもなく、ただただ心を痛めていた。
 くーちゃんが小学四年生の夏休み前に私が電話を掛けた。
「お兄ちゃんみたいに泊りがけで、おばちゃんとこへ遊びにおいで」と受話器を置いた途端、
お兄ちゃんみたいには余計な一言……。
 お兄ちゃんを思い出させてしまったのではないかと。何と無神経な言葉を言ったのだろうと後悔をした。
 ひょっとすると、もう来ないかも知れないと頭を過ぎったが、果たして、くーちゃんは来た。
 着替えを入れた小さなリュックを背に大きな目をクリクリさせて、
「こんちには」
「よく来たねえ」と私は思わず手を握りしめた。
 わが家の子供達と食事や話をしている時は、以前の明るいくーちゃん。
 しかし、ふとした時に寂しそうな横顔を見ることがあった。

 あれから三十年余り、くーちゃんは四十歳になった。父親との距離を置いたまま、くーちゃんの半生は平穏ではなく、むしろ苦労の多い日々だったと義姉から折に触れて聞いていた。
 四年前、兄が病気になり入院し退院した後、訪問診療になった時、くーちゃんは介護のために東京から帰ってきていた。見舞いに行った時も甲斐甲斐しく世話をしていて余り話をすることが出来なかった。
 ある日、病状が芳しくなく、医師から「会わせたい人に連絡をしてください」と言われたと電話があり急いで駆け付けた。
 過日、兄がくーちゃんに途切れ途切れに、
「あ・り・が・と・う・な」と言ったと聞いた時、鼻の奥がツンとして胸が熱くなったのを思い出す。
 兄の死後、ぽかぽか陽気の抜けるような晴天の今日、久し振りに顔を合わすことが出来た。
 お茶もそこそこに、直ぐお昼ご飯となり高島屋で買って来てくれた牛肉弁当とサラダ、昨夜作っておいた、ぶり大根を温めて柚子の皮の千切りを散らし、出来立ての澄まし汁を出した。
「まあ、豪華なお昼ごはん!」と私が言った。
夫は腰痛の為、食卓の椅子に、私達三人はすぐ隣の和室の堀炬燵に座った。
 食事をとりながら昔話に花が咲いた。
「二人に手厚く介護され兄ちゃんの最後は幸せやったね」と言うとくーちゃんは静かに立ち、部屋から出て行った。
 間もなく、戻って来た大きな目に涙の後が見て取れた。
「果物、どうぞ。コーヒーは?」
「いただきます」と言ったので、コーヒーメーカーに水、コーヒー豆をいれフィルターを付けた。
「うちのコーヒーメーカー、大きな音がするけどごめんね」と言いながらスイッチを入れると案の定、大きなうなり声のような音がした。
「もだえております」と言うとくーちゃんはクスッと笑った。
 義姉はコーヒーを手に庭に目を向けて、
「庭にいっぱい咲いている黄色い花は?」
 と夫に訊いていた。
「つわぶき」
「紅葉しているのは何?」
「ドウダンつつじ。もう少しするともっと紅くなるよ」と答え、ゆったりとした時が流れた。
 暫くして「そろそろ」と義姉がいとまを告げたので用意していたお供えと手土産を渡した。
 やおら立ったくーちゃんは、
「りょうさまハグしょう。元気でいて下さい」
「今日はありがとう」と夫は戸惑いと照れを浮かべて応えていた。
 私は二人をバス停まで送って行った。
 道すがら、私と義姉は並んで歩き、一歩前を行く、くーちゃんの後ろ姿は大きくウェーブのかかった長い髪を柔らかく一つに束ねて美しかった。
「くーちゃん、髪の毛きれいね」と声を掛けると振り向いて明るい笑顔を見せた。
 バス停に着くと、
「良子おばちゃん、無理しないでね」とハグをしてきた。
「くーちゃんも。お母さんを大事にね」
 と、そこへバスが来て乗り込んだ二人は、車窓から手を振った。緩い上り坂を左にカーブを切ったバスが見えなくなるまで見送っていた。
 夕方遅くラインが入った。
「今、家に着きました。有難うございました。お二人の元気な顔を見て幸せでした。今度は東京で合流したいです」
「遠い所を有難う。こちらこそ二人に会えて幸せでした。りょぅさまは『くーちゃん、しっかり生きているね』と言っていましたよ。今、りょうはさまは、幸せいっぱい、おなか一杯でスヤスヤ。
 くーちゃんの優しさに触れた一日でした。久しぶりにお母さんとおしゃべり出来て、喜んでいたと伝えてね。また、会えるのを楽しみにしています」と返信した。

 あれから一ヶ月が過ぎ、冬の気配を感じる今日この頃、未だに私の心は小春日和のままである。