かわち野

かわち野第十集

続編・高齢者小学校

瀧尾 鋭治

 私が二〇十五年に高齢者小学校に入学して、今年で八年の歳月が流れた。年度末に自分達で発刊している文集の三号から作品をのせているが、表題の作品は四号に発表した掌編小説だ。短編小説は原稿用紙三十枚から百五十枚の作品を指して呼ぶが、掌編とは、三十枚以下の手の平にのる程の小さな作品のこと。
 さて、最初の作品からすでに七年が経過した。当時、七十九歳だった私ことターさんは八十六歳となった。阿倍野橋の近鉄百貨店に勤めていたが、三人の親友はここ数年の間に天国へと旅立った。だから、これまで週に一回休肝日を設けていたが、あの世からのお呼びを意識して近頃は日本酒を毎晩愛している。
 高齢者小学校のメンバーの人生にもそれぞれ紆余曲折があった。前作で校長先生のシゲちゃんのことを当市のターキーと評したが、若さと美貌と服飾センスの善さに変わりはない。また、校長兼用務員兼生徒という三役を真摯に務める姿に頭が下がる。
 だが、昨年夫君に先立たれて娘御と二人暮らしとなられたが、持ち前の明るさとやる気が幸いして見事に役職をこなしておられる。そのお陰でわれわれ生徒は、月に二回登校して授業に専念できている。校長先生に感謝! と誰しもが心の内でそう思っているはずだ。
 そして、三人の方々の姿が今はない。一人目は先生のカズちゃん。学校で最も若くて色白美人だったが、心の病で離職された。
 二人目は先輩のマッちゃん。九度山へ遠足に行った頃は八十六歳で健脚だった。しかし、二年ほど前から足が弱って登校できなくなった。だが、文学の糸を切りたくなくて時折作品を送ると、達筆の上に品格のある感想文を送ってきてくれる。その律儀さに感動。貴重な存在感を示す九十四歳だ。
 三人目はモテモテ随筆が得意だったツーさん。長年、介護師のキタちゃんと車イスで通学していたが持病が悪化してあの世へと……。しかし、校長先生が昨年の文集に彼の追悼号として遺作を掲載してあげたので、俺は死んでもモテモテだと天国で喜んでいるだろう。
 昭和十二年生まれの同級生、ニシちゃんもご主人を亡くされた。先日、年賀欠礼の葉書がポストに入っていた。だが、彼女も校長先生に似て心身共に強固で、百二十歳をめざすと宣言している。さもありなん、と思う。八十六歳にして未だに五十坪ほどの畑で色々な野菜を育てている。先日近くを通って驚いたが、何としゃがみこんで草抜きをしているではないか。俺なんか、数年も前から正座ができなくて、朝夕仏壇の前でイスに座っているというのに!
 また、ご主人も幸せ者だ。これから三十四年もの長きにわたって酒を供えてもらえて……。ああ、俺はどうなる――。
 そして、栄えある級長を務めるヤーさんも健在だ。ガンを患ったが早期に判ったのが幸いして元気だ。そして文集の作成時には、明けの明星の如き光彩を放って存在感を示す。
 八十代となったトクちゃんとクロちゃんも元気そのものだ。トクちゃんもご主人が亡くなって独り身となったが、最近の彼女はレベルアップした作品を提出するようになった。
 思うに、夫を亡くした当初の悲哀や孤独感、前向きの気性がかもしだす時を経ての気楽さへの変化。その他諸々の感情がないまぜとなったものが肥やしとなり、佳き方向へと作品を導いたのだろう。
 同じ町内に住むクロちゃんも、相変わらずの美人婆ちゃんだ。惜しむらくは細目だが、年を重ねるごとに細さが増して……。けれどもその昔、当市の美人コンテストに出場したらしいが、今以て往時の面影を感じさせるのだ。
 二年生だったサカちゃんと一年生だったイワちゃん。二人は四年と三年に進級したが、ふっくら美人とほっそり美人に変わりはない。サカちゃんは乳ガンになったが、気力で病に打ち勝ち最近は心に響く作品を次々と発表するようになった。恐らく、病から受けた心と体の痛みを滋養に変え、乳吞み児を育てる如く作品と向き合ったからだ。がんばってや!
 イワちゃんはとにかく溌剌としている。そして事あるごとによく働く。だから、校長先生が最も頼りにしているのが傍目にもよく判る。最近は、会計係もしてくれている。バイクで通学しているが気をつけてね……。
 転校生のスズちゃんとイノちゃん。どちらも八十代だから最上級生だ。スズちゃんは何と、大阪文学学校の出身だとか。年間十万円の授業料を払って本科・専科・研究科へと進級したらしい。道理で彼女の作品は、純文学が醸しだす香りに満ちている。今は術後で仕方がないが、またいい香りかぎたいよ……。
 イノちゃんは去年転校してきた新人さん。作品は少ないが、少女時代を描いた作品が文学の香りを放っていた。きばって書いてね……。 〈了〉