かわち野第十集
Sへ
林 和子
出会いは確か、なじみの繁華街を少しはずれた道の行き止まりにあるバーだった。
二〇〇〇年の夏の夕刻、帰宅するにはまだ早い時間だった。当時は仕事をしていて、帰り着くまでに軽く飲んでいく、というようなことは時折あった。
初見の店に扉を押して入っていったのである。入口に近い席に腰を下ろすとため息が出たのだったか。
カウンターの中にはオーナー店主らしき初老のヒゲのバーテンダーがいた。何を飲むかと聞かれ適当にと任せたにしても、かなり美味なカクテルが出てきたように思う。
店主と会話する余裕も生まれた頃、ようやくカウンターの奥にいる一人の男性客に気がついたのだった。
こちらに顔を向けたので、二言三言言葉を交わした記憶がある。しかし、それはその時だけのことだったのだが。
数年後、仕事を解雇になったその足で、記憶を辿りながらあの店を捜し歩いたのである。
店は変わらず在った。
以前と同じヒゲの店主が迎えてくれ、たった一度の客を憶えていたのかどうかは分からないが、気持はやや救われた気がする。
そして、カウンターの奥に彼がいたのだ。酒を注文するその声を聞いて、彼と分かった。
「同じものを」と、私は店主に言ったはずだ。二度会っただけで私達は多くの言葉で会話を楽しんだのだから、三度目の再会があればおそらく彼とはゆきずりの知人から友人になれただろう。
そんな予感も確かにあったのだから……。
だが、彼とはあれきりだ。二度と会うことはない。
何故か。
彼=私立探偵「沢崎」を創り出した作家の原尞が、今年二〇二三年急逝したからである。沢崎との新しい出会いは叶わなくなった。