かわち野

かわち野第十集

書道パフォーマンス甲子園

後藤 新治

「書道パフォーマンス甲子園」という、全国から集まった高校生たちの書道のイベントがある。令和4年で15回になる。もともとは、愛媛県立三島高等学校書道部が、市内のショッピングモールなどで、音楽に合わせて大きな紙に揮毫する「書のデモンストレーション」として、披露していたもの。それが時を経て、今では31都道府県102校から集まった高校生が、厳しい審査を受け20校までに絞られる。
 12人以内でチームを組み、4m×6m四方の巨大な紙の上を、流行の音楽に合わせダンスをしながら、6分間で作品を仕上げる。衣装もまちまちで、これも華やかさを競っている。大筆は墨に浸けると20キロ以上あるそうで、それを女性が躍りながら揮毫する。また、水彩絵の具を使っていろいろな表現をする。たぶん、ダンスも審査の対象になっているのだろう。

 20校に入るためには大変な時間と労力を要する。その過程は想像に絶する。テレビで、ある学校を密着取材していたが、それは涙ぐましい訓練である。朝早くから夜遅くまで練習をしている。
 それに墨は毎回バケツに入れる程の量だから、まさか磨墨では済まないだろう。となると買わなければならない。ネットで見ると、10キロ、1万円前後で売っていた。紙は新聞紙で代用していた。

 第15回は 長野県松本蟻ヶ崎高等学校が優勝して、文部科学大臣賞を受賞した。特にこの学校は3年連続の偉業を成し遂げている。準優勝は鳥取城北、3位は上野宮に決まった。
 審査員は7名で、なぜか特別審査員にあの有名な女流書家の「紫舟」が入っている。これは意外だった。特別審査員になっているという事は、書道パフォーマンスを認めているのだ。「紫舟」はNHKの大河ドラマ「龍馬伝」の題字を書いている。それは男性が書いたような、するどい筆さばきの作品だ。
 その時の彼女のコメントがある。
「書(字)を書くと言うよりは、激動の時代に生きた若い志を描きました」
 描くと言うのは、絵画の世界に入っている のだろうか。彼女は年齢不詳で、未婚か既婚かも公表されていないが、ネットでは43歳かも知れないと言う、美人書家だ。

 僕が書を習ったのは昭和57年で、近くに書道教室あり、週2で通い、毎日練習をした。昭和59年には初段になり、64年に師範になった。7年という年数は、他の人と比較して短いのか長いのかよくわからない。
 先生から、「星宿」という雅号を頂き、作品に記名している。
 それ以来遠ざかっていたが、これでは師範の肩書が泣いてしまうと、公民館の書道教室を覗いてみたくなった。2002年(平成14年)に入会して、毎日のように筆を握ることになった。公民館展では、思いっきり自分の作品を発表して、新しい書の発見もあった。2008年まで在籍したが、訳あって辞めた。

 書道パフォーマンに出てきた人の中には、師範になっている人もいるだろうが、奇抜な衣装で、音楽に合わせ、踊りながら書いていくのは、これって書なのかなと思うのである。これはこれでお祭りだと考えればいいのかもしれないが、納得いかない部分がある。
 ある女子高校生のコメントがある。
「高校に書道部はありますが入部せずに、別のところで続けています。高校の書道部というのは、パフォーマンスをアピールポイントにしていることが多いです。私はその高校生のパフォーマンスというのが、果たして書道なのかということに、疑念を抱き入部しませんでした。書道というのは古典臨書を通し、長い年月をかけて自分の字を形作るものだと思っています」
 いろいろな考え方があるが、自身は彼女に賛同する。生意気かもしれないが、彼女が言っているように、古典臨書をきっちりと身に着けることが重要である。