かわち野第11集
情愛の絆 ~寒中見舞い状~
重里 睦子
二〇二五年一月二八日(火)、一通の寒中見舞い状が封書で届いた。
私が毎年楽しみにしているT子さんと、そのご子息M君からのものだった。
この母子と知り合ったのは、四一年前、M君が二歳の時である。
彼は、脳に障害を持ってこの世に生を受けていた。ご両親はM君のために何か手立てはないものかと、アメリカのグレン・ドーマン博士による訓練を学び、そして始めた。
ドーマン法とは、人間が生まれてから這って歩けるようになるまでの様々な発達過程に着目して開発された脳障害の治療方法である。沢山あるプログラムの中では、初期の段階で特に重要だったのがパターニングだった。これは、大人三人の手が同時に必要なのだ。
そこで、コミュニティ新聞にて手伝ってくれる人を募った。私は力及ばずながらその一人である。
一日二回部屋中に施された用具を使い彼の体を動かした。
今年の彼からの便りの文面には、こんな言葉が綴られていた。
「私が今こうして、不自由な身体で、親元を遠く離れ、自立した生活をするという、不可能を可能にすることが出来ているのも、幼少の頃、ドーマン法の訓練をいやな顔一つせずにお手伝い下さった皆様のお陰です。本当に有り難うございました」と結んであった。
二七年前のことになるが、彼が高校受験に合格した時、その便りが彼から届いた。私は郵便受けより取出し開封した。その瞬間、嬉しくてすぐに電話を入れた。ちょうど彼が家で留守番をしていたところだった。喜びの声を聞いた私は涙があふれたのを覚えている。
その後彼は大学、大学院を卒業して、三十歳で、自分のアイデンティティーを求めてアルゼンチンへと旅立った。家から出たいと言わんばかりに(笑)と母T子さんが言う。
この度の彼女からの文面では、「Mにつきましては、アルゼンチンに行ってから、『歩ける人が羨ましいと思わなくなった』(彼は今も車椅子生活)とか、精神的自立が出来たのはとても重要なことで、これから先もずっとアルゼンチンで生活するのがベストなのですが、経済的な問題で乗り越えるべき壁が、まだまだ高い状態です」とあり、経済的には彼への支援がなかなか厳しいようだ。
確か昨年の便りに、働かねばならないという気持ちから、働けるという気持ちに切り替わったと書いてあった。七〇代になった今も薬剤師として元気に明るく励んでおられる。
手伝った人への感謝の気持ちを持ち続け、丁寧に日々の生活を報告することでつながりが持続する。
今年も、この便りが届き、更にお二人との情愛の絆が深まったとの思いを強くした。