かわち野

かわち野第三集

鼻歌

松本 恭子

 住宅街の中を走っては止まり、止まったかと思うとまた走り出しながら、新聞を配るバイクの音が遠ざかる。
 寝返りをうち、枕元のスタンドを点けた。
時計の針は、午前四時をすこしまわったところを指していて、外はまだ暗い。
 いつもご苦労さま。つぶやくともなく灯りを消し、ふたたびとろとろ寝入った。
 カタンと雨戸が鳴り、庭木がさらさらと葉ずれの音をさせた。滴、滴とつくばいに落ちる水音。一度目覚めてしまった浅い眠りのなかで、やさしい風、静けさを聞いたり感じたりしていた。
 雨戸の細い隙まから、梅雨の晴間の薄明りが洩れ、ゆっくり輝きをおびてきた。まだ早いけれど潔く床を離れようかな、と思っているときだった。
 窓の下の道路を、鼻歌を唄いながら通りがかる人がいる。誰だろう。早くからご機嫌のいいことと聞耳を立て、ハッとした。鼻歌は軍歌だった。なぜか反射的にとび起き雨戸を開けた。さっと入りこむつめたい空気。
 伸び上って見ると、鍬を高く担ぎ、古びた麦藁帽子を被った、小柄な感じの老人が後姿を見せ通りすぎていった。
 老人のゆったりした足どりに、メロディだけの軍歌はとても穏やかで、早朝のしじまを乱すことはなかった。うた声と姿が遠のいて布団に戻り横たわった。胸に手をおきそっと目を閉じた。
  勝ってくるぞと 勇ましく
  誓って国を 出たからは
  手柄立てずに 死なれよか
  進軍ラッパ 聞くたびに
  瞼に浮かぶ 母の顔
 ひくく歌詞でうたっていると、軍国主義に洗脳されていった戦時下が甦ってくる。
 つぎつぎに出征して行った三人の兄たち。
 父は名誉なことだと胸を張った。
 ひ弱で内気。緊張すると吃音になる長兄にも、招集令状がとどいた。万歳、々々の声、日の丸の小旗をうちふる見送りの人々。直立不動、挙手の礼。凛々しかった兄の姿が浮かぶ。
 次兄は、大学在学中に招集され、幹部候補生の少尉として中国に配属されていった。
 中国の大地は、いたづら心をそそると聞いた。陽の落ちるのを待ち、夜陰にまぎれ、西瓜畑荒しをしたそうだ。上官も兵士も一緒にスリルをあじわい、、辺りをうかがう茶目な兄を想像すると吹きだしてしまう。サーベルを腰に下げ威張り散らす将校のイメージは、とても似合はない兄だった。
 純粋で熱血漢。元気すぎた三男の兄は、いつも母をはらはらさせていた。豆タンクという渾名があり、向っ気が強かった。大きな上級生が下級生をいじめていると、小さな身体をジャンプさせ挑んでいた。
 正義感の固まりのような兄は、旧制中学四年生の途中で、自ら、海軍甲種航空予科練生を志願し合格した。このとき、喜んだ父と対象に母は寂しげで、できることなら戦争には出したくない母の本能が表情にあった。
 一九四一年、十二月八日。必勝を信じ始まった太平洋戦争は次第に形勢不利となり、厳しい局面に傾きはじめた頃、特別攻撃隊員を志した兄の、ゼロ戦戦闘機搭乗の知らせが入った。
 出陣の日は秘密裡で、肉親との最后の別れには母と姉が行った。甘党だった兄のため前夜、母はおはぎを山ほど作っていた。
 しかし、運命は紙一重だった。あと数日で決行という前に、日本は無条件降伏をした。
 家族は、その幸運を心からよろこび、無事の帰還を迎えたが、目標を失った兄は毎日、当てなく出歩き荒んでいた。
 ある日、母は兄の脱ぎ捨ててあった衣服の中から恐ろしいものを見つけた。白鞘に納まる短刀だった。もしやと不吉感のよぎるものを、即座に隠した母の心労は尽きなかった。
 それでも、静かに過ぎていった時間が兄の心を癒やしてくれた。徐々に意欲を沸かせ、復学し大学卒業後は実業家となり活躍した。
 戦後の兄たちは、夫々に倖せをつかんだ。
 長兄は結婚し、一人娘を授かり、趣味の囲碁大会では、常に優勝をさらっていた。
 次兄は、乳呑み児を抱えた美しい戦争未亡人と結婚し、生涯自分の子を持たなかった。
 三男の兄は、「走り出した電車は止められない」と言い放ち、資産家の一人娘と大恋愛の末結婚した。しかも、母の反対を押しきり養子入りをした。兄の名セリフ。「走り出した…」は、たちまち兄弟姉妹の間で流行語となり、事あるごとに、茶化し、笑いあい楽しんだものだ。
 清々しい朝の鼻うた。無心の軍歌が戦後七十年の平和にとけこんでいた。すでに鬼籍の兄たちにも聞こえただろうか。
 あちらこちらで、雨戸を開ける音がしてきた。住宅街も目覚めたようだ。さぁ、私も活動開始と弾みをつけ起き上がった。