かわち野

かわち野第四集

二度わらし

黒江 良子

 それは一本の電話で始まった。
 二〇一五年七月二四日午前一〇時過ぎ、電話が鳴った。夫の長姉が住んでいる倉敷のマンションの住民からであった。
「黒江先生の新聞受けに五日間、新聞がたまったままです。電話を掛けても、ドアを叩いても返事がありません。鍵も管理人さんに預けられていません。どうにかして下さい。急を要するんですよ!」と切羽詰まった声であった。「有難うございます。すぐ手立てを考えます」と電話を切った。
――命は大丈夫かしら。どのような状態かしら……と胸がドキドキした。
 お姉さんは長く公立幼稚園の園長として幼児教育に携わってきた人である。園長になる後輩の人達のサポートも多くしてきた人でもある。独身で一人暮らしの八五歳。大柄な体格で大変おしゃれな人。お姉さんの末弟が私の夫である。
 夫は二時間前にゴルフに行くのを送りだしたところで、すぐ携帯に掛けてもつながらない。もうプレー中だろうと思った。私は部屋を歩き回って最善の方法はないかと思いを巡らせた。思い切って河内長野警察に電話をした。事情を話し、遠方なので直ぐに行けない事を話す。倉敷警察の電話番号を聞き電話を掛けお巡りさんに駆け付けて貰った。お巡りさんの返事を待つ間ゴルフ場の受付に電話をして夫からの連絡をお願いした。受話器を置いたとたんにお巡りさんから連絡があり、入り口のドアが開かないので台所の窓から消防士さんに入って貰っていますとの事。その後すぐ消防士さんからも電話があった。
 私は勢い込んで、
「命は、命は大丈夫ですか」とたずねた。
「命には別条ありませんが朦朧としていてこれはひどい熱中症です。すぐ搬送先を探して連絡します」
「よろしくお願いします」と頭を下げホッと胸をなでおろした。
 暫らくすると夫からすぐ帰るとの連絡が入り気持ちが少し落ち着いた。
 前々からクーラーが身体に合わないと言っていたお姉さん。外は三七度近いのに部屋はもっと高温になっていたのでは……。
 この連絡を貰う三か月程前の夜、お姉さんから誰かが入って来て財布を盗まれたとの電話があった。翌日心配して電話をすると「大丈夫、お財布はあるよ!」といつもの元気な声であった。ひと安心したものの、高齢でもあり、二度わらしの世界に入りつつあるのでは、と心に引っかかっていた。
 間もなく「倉敷中央病院に搬送します」と消防士さんから連絡があった。
「明日すぐそちらに向かいます。有難うございました。よろしくお願いします」と返事をした。
 翌日早朝、倉敷へ。新幹線から在来線に乗り換えて家から四時間余りの時間を要した。はやる気持ちで病院へ着くと、あのしっかりした気位の高いお姉さんとは思えないくらい弱弱しく身体をベッドに横たえていた。まだ目はうつろ。私が「お姉さん!誰かわかりますか」と夫の方に手を向けると
「瞭吉君」と即座に答えた。
「私わかりますか」と聞くとやや間があって「良子さん」と答えた。
 それから眠そうに目をつぶった。暫らくして主治医から状態を聞いた。
「一週間程で回復されるでしょう」との事。
 その後すぐマンションに向かった。お姉さんのマンションの隣人の部屋で民生委員、高齢者支援センター長、マンション管理人等と合い、お世話になったお礼を言った。
 そしてお姉さんの部屋のドアを開けると、各部屋の物の山と、吊ってあるおびただしい数の服が目に飛び込んできた。物の山の間に出来たけもの道の様な通路を見て、これがお姉さんの最近の生活圏だったのかと思った時、ひとり暮らしの限界を感じた。熱中症にならない様にと案じて送ったリンゴジュースの宅急便の箱がそのまま玄関に置かれていた。それを見て私は茫然とした。冷やして飲むわねと電話があったのに……。
 その後、何度か大阪と倉敷を往復して、夫と二人で部屋の整理に没頭した。
 『目は臆病、手は鬼』いう三陸地方の言葉がある。部屋を見た時、目の前の作業の膨大さ困難さを想像し、「これは無理」と目は絶望したけれど、取り敢えず黙々と手を動かすうちに、手はいつしかものすごい働きをしていた。
 倉敷から帰ったあくる日、病院から電話があった。
「黒江さんが部屋に居ない。今探している途中ですが、心当たりありませんか」
「エッ!」
 少しの間言葉が出なかった。どうしたのだろうかと不安と心配で気持ちが沈んだ。間もなく病院からの連絡で、病院のパジャマのままタクシーでマンションへ行ったらしい。その運転手さんが病院へ連絡し、連れ戻してくれたと聞き、ひと安心した。翌日、早々に病院へ行くと、ベッドの横に白いマットが敷かれていて、降りるとナースステーションに連絡がいく仕組みになっていた。
 夫が「勝手に病院から出て行ったらいかんよ」と優しくたしなめていたが、なぜマンションに行ったかお姉さんの気持ちを図りかねていた。私はやはり住んでいた所が気になったのではと思った。
 暫らくして支援センター長から四軒のケアハウスの紹介を受けた。病院では入院期限がとっくに過ぎていたが、ソーシャルワーカーの温かい配慮によりケアハウスが決まるまで預かって貰う事が出来た。紹介を受けた中の一軒が気に入って、入所してもらう事にした。入所を嫌がるのではないかと心配したが、素直に同意してくれたので、それは杞憂に終わった。入所にあたりマンションから持って行くもの、新しく買い揃えたものにすべて名前を書き、準備を整えた。
 退院の日、病室から長い廊下をお姉さんの手を引いて歩いた。歩き始めると「よいしょ!よいしょ!」と言いながらしっかりとした足取りで歩みを進めるのである。
「ちょっと休みましょうか」
「いいの、よいしょ!よいしょ!」と言い続けながら歩いた。この一生懸命さにお姉さんの来し方、生きざまを思い胸が熱くなった。夫が「これからゆっくり穏やかに暮らしてな」と言い「きれいな所で楽しい毎日ですよ。きっと」と願いを込めて私は言った。
 四階の明るい部屋に着くとお姉さんは 「今年の夏は涼しいね」
 この言葉に私は前につんのめりそうになった。酷暑の中、部屋の整理や入所準備に追われ疲れ切ったけれどお姉さんにとって関知する事ではないのだろう。帰り、部屋を後にして廊下を歩いているとお姉さんがドアから顔を出し、
「瞭吉、背中丸いよ!」と声が掛かった。二人でハッと振り返った。二度わらしの世界に入っても弟のことがいつも心にあるのだなと思った。
 帰りの電車の中で、お姉さんが元気な頃に一緒に行ったイタリア、オーストリア、韓国、タイ旅行を懐かしく思い出した。
 旅行中に意見の違いで喧嘩したことも……。