かわち野第四集
生きるって素晴らしい!
鈴木 幸子
平成二十六年九月に、夫は八十四歳で亡くなり先月九月に三回忌を終えた。突然涙がでて暗い穴の中に落ちていくような不安感はなくなったが、生きていく気力がわかずにいた。
夫は、七十歳で胃癌になり、胃を全摘。悪性リンパ腫では、三回の再発を繰り返し、前立腺癌では放射線治療。家族性の糖尿病があり六十歳後半からは、インシュリンを打ち、自己管理する日常生活だった。透析治療を始めて半年後に細胞がくずれるように亡くなった。
寝たきりではなかったが、十四年余り夫の病気に付き合い、入退院の配慮や、糖尿病食腎臓病食で、全力を使い果たした。
私は夫の死後、人と会うのが億劫になっていた。
そんなある日、十月号の広報誌で、「生きるって素晴らしい!」を実感できる綴り方教室が目に飛び込んできた。この教室は、昨年友人に勧められて参加していた同じ教室であるということも気付かずに申し込んだ。当日、約十ヶ月前と同じ教室で同じ雰囲気の数田、重里両講師に迎えられて、初めて昨年お世話になった同じ教室であることに気付いた。今回は自分の意志で参加しているという自覚のような覚悟のようなものが湧いてきた。
前回と同じように講義が進められ穏やかな気持ちで集中することができた。 重里講師の作品、落語家を目指す人を育てる内容には人間と人間の関わりや人間の持つ閃きを感じた。繁昌亭に三回行こうと思った。三回行って落語が好きにならなければ、それまでだと思う事にした。
宮井さんが原稿用紙を横に使っていたのには驚いたと同時に、なんとユニークなことをする人もいるものだと思った。物事をこのように捉えることも生きてゆくのに大切なことではなかろうかと思えたりした。
一時間三〇分が瞬く間に終わった。
体が軽くなった私は、すぐに帰りの電車に乗る気になれず心地よい秋風を受けて、夫が亡くなった柏友千代田クリニックの前の道をグルメハウスのプシューケに向かった。ドアの前に立つと二年前が思いだされた。よく腰かけた左方向の窓際の椅子も同じだった。当時、コーヒーをマイポットに入れて貰い病院へ持ち帰った。夫と二階のガラス張りで外がよく見えるソファーに座り、郵便局に出入りしている人たちを眺めた。一時は病気も忘れる穏やかな表情を見せる夫を見守っていると私の気持ちも満たされた。
心の落ち着く店なのでプシューケの意味を調べてみると、ギリシャ、ローマ神話の羽をつけた美女の意味があることがわかった。
夫が美味しいと言って食べたクッキーを買って穏やかな気持ちのままで駅に向かった。 完