かわち野第四集
優しさ1(妻の優しさ)
津田 展志
優しさや思いやりは面倒なものだ。それは、人の繋がりの中でしか生まれないからだ。受け入れる気持ちがなければ優しさも思いやりも苦言やお節介にしかならない。今まで優しくされた事も思いやりも沢山あった。それでも、私が難病の後遺症で不自由な身体になる前の事は覚えていない。
優しさって何だろう。私が受け入れる事が出来た優しさを書いてみた。身体が不自由になると、今まで出来ていた事の一部が出来なくなる。自分に出来ない事があると、人の優しさが良く分かる。分かっていても絶望している時は受け入れる事は出来ない。私は時間が掛かったが妻の優しさや思いやりを受け入れる事が出来た。それが出来た事で、たくさんの優しさに出会えたのだ。
妻と結婚したのは26歳の時だ。5ヶ月目から体調不良が続き、その3ヶ月後に難病で入院した。順調に回復していたので1ヶ月で退院出来るはずだった。が、退院間際に高熱が続き、平熱に戻った時は全身に痺れが広がり植物人間の一歩手前だった。生きる事に絶望した私が最初にした事は妻に別れてくれと言ったことだ。
当然、妻の両親は別れる事に賛成だ。それでも、妻は「ついていく」と言う。その言葉は私には腹立たしかった。寝返りも打てないし、自分の意志で身体を動かせない。そんな状態なのについてこられても、私には何も出来ない。困らされているとしか思えない私は、妻を無視する事にした。
1ヶ月以上無視する日が続いた。それでも、妻は、毎日、朝の9時頃から夜の8時頃まで私の世話をする。死ぬ事しか頭にない私は別れずに世話をされる事が嫌だった。それで、無視する事しか出来ないが、妻が別れたくなるだろうと考えたのだ。
私の無視や罵詈雑言に耐え妻は世話をし続ける。有り難いと思えるまで時間が掛かった。治る見込みが出来て初めて、妻の優しさや思いやりを受け入れる事が出来た。
その頃から、「なってしまった事は仕方がない。なるようにしかならないなら、それを受け入れよう」と開き直る気持ちが生まれた。そうなれた事で、どんな優しさも思いやりも受け入れる事が出来たのだ。
人の繋がりの中で考える事は生きる力に繋がる。