かわち野

かわち野第四集

バンクーバー国際マラソン大会とカナディアンロッキーの氷河の旅

宮井 一行

 今から二十年前の平成八年三月に、三十九年間勤めた会社を退職した。
台湾や中国、インドネシア、シンガポール等は仕事の関係で出張したが、
カナダ(面積=九百九十七万一千平方キロメートル=日本の約二十七倍、
人口=約三千四百万人=日本の約四分の一)、中でもバンクーバーはどうしても行きたい都市の一つだった。
バンクーバー(面積=約九十四万五千平方メートル、人口=四百五十一万人〈二〇一〇年〉)に関しては、自由の身になって、急に友人からバンクーバー国際マラソン大会参加の話が舞い込んできた。アルバイト(大学の後輩の会社)はやっていたが、即決で参加する事にした。
 平成八年五月三日、関西空港よりフライト時間約九時間で翌朝バンクーバー空港着、
入国手続きを終えて空港内を見物中、思いがけなく名古屋在住の弟(トロント出張中)とばったり逢った。約二ヶ年逢っていなくて話は尽きず、次から次へと話題があったが団体旅行のため早く切り上げた。
 五月初めと云うのに日中は十八度くらいで暖かいのに驚いた。
北海道の北端(=稚内、宗谷岬が北緯約四十五度)より遙か北方のバンクーバーは、北緯約五十度のサハリン(旧樺太中央部)と同緯度とは普通では考えられない温かさだった。理由はメキシコ暖流がバンクーバーサイドを流れているからだと後で解った。
 ホテルに着くと早速トレパンに着替え、広大なスタンレーパークへと向かう。
約四百ヘクタールの敷地内には巨木が林立する。
トーテムポール広場はコケシの変形みたいで高さ十~十五メートル程度の木造彫刻が立ち並ぶ。水族館、ローズガーデン、テニスコート等があり、公園外緑遊歩道(巾十メートル)が約九キロメートルの長さで続く。
その場所でのお昼過ぎと夕方のジョギングは今でも昨日の様に思い出す。
 五月五日は朝から晴天に恵まれ、バンクーバー国際マラソン大会はカナダ人、アメリカ人と日本人は十二名余り(日本人の他はハーフマラソン 十キロマラソンと市内ウォーキング)だった。日本では考えられぬ程の少人数のランナーだ。
当時の河内長野市民ハーフマラソンでも千三百~千五百名はいた。
日本国内の大会はフルマラソンで六千~八千名、ハーフマラソン=二千五百~三千名、十キロマラソンは人数は色々だ。
 バンクーバー国際フルマラソンは日本と比較すると少なく約二百名程度のランナーだった。(最近の大阪フルマラソン大会=三万名以上、仝上の東京フルマラソン大会=三万名以上)
今回のスタート地点は目標物は無く、約百メートル巾の道路を八時にスタートした。
各クラス順次スタートで最後まで十キロメートルと続いた。
日本からのランナーは、九州は福岡、北九州、山口、鳥取、島根、広島、岡山、関西地区等で総勢約百三十名の参加だった。
(フルマラソンの出場者=六名、ハーフマラソン=約十八名、十キロメートルマラソン=約三十名、市内ウォーキング=七十六名+カナダ人+アメリカ人他であった)
道路は自動車が多く運行し、日本の様な車や人等の通行止めは無く、当時は歩道もはっきりせず、場所によっては人通りも多くて(日本の場合は完全に道路規制が有る)走りにくかった。
三十キロメートル前後までは遙か前後にランナーが居たが、以後約十二キロメートルの間は前も後もランナーが走っていない状態で心細い一人旅だった。(日本国内の大会では考えられない)走行中覚えているのはスタンレーパークとノースバンクーバーを結ぶ巨大な鉄橋=ライオンゲート橋を記憶している程度だ。 私達は機内で話し合いの上、当初から女性一名(奈良)男性二名(河内長野)の三名で一緒に走る約束だったが、十キロメートル附近の緩やかな上り坂で私は皆に付いて行けず、先へ走ってもらった。それからは話し相手も無くマイペースで気楽に比較的平坦な道を一人で走り続けた。二時間も大分過ぎ問題の三十キロメートル(推定)を過ぎる頃が自分の難関だ……。この調子で現在の体調だとまだ行ける自信が湧いてきた。
少しずつスピードアップしながら先行の二人を追った。
今回のマラソンコースは比較的坂が少なくて体力の消耗も少なく走り易かった。
残り四キロメートル余の所で同僚(男性)に追い着きエールを送るも、彼はバテ気味で先に行くと伝えてまもなくゴール(四十二・一九五キロメートル)出来た。(女性は若く三分近く負け)タイム=三時間四十七分三十秒、まあまあだった。
 五月五日マラソン完走後二、三時間休養し、近くのバンクーバー島のビクトリア(ブリティッシュコロンビア州の州都)を見物する。
イギリス様式の美しい街並みで大通りはさすがだ。
ブッチャート・ガーデン(面積=二十二万平方メートル)、サンクス・ガーデン、日本庭園、ローズガーデン、イタリアンガーデン、庭園の広さと二十五万株のお花の美しさは素晴らしかった(今迄見た事が無し)。
 五月六日、七時バンクーバーより長距離バスでスタートしてから一時間もすると、全面積雪の中をひたすら走り続け、更に二時間走った頃ウイスラー冬季オリンピック開催地を過ぎて、プラス三~四時間走ると約十三時にカナディアンロッキー観光の拠点であるバンフへ到着した。素晴らしい景色と好奇心とで街中を観光した。周囲は緑の森林や峻嶺な山々が、街を囲む風景の全てが絵ハガキ以上に美しく感じられた。積雪は無いが、カナディアンロッキー観光の第一拠点の街の風格がある。
一八八三年(百二十九年前)に大陸横断鉄道の工事中、三人の鉄道工夫が偶然温泉を発見し湯治場を作る。
 平成八年時は横約三十メートル×縦約五十メートルの水泳プールの様な温泉(アッパー温泉=四十度Cでややぬるい)に入った。(ツアー中三人だけ=女性一人・男性二人)男女混浴で女性は水着、男性は水泳パンツ姿で大勢の男女で賑わっていた。
まさかバンフで温泉とは、と後で皆が驚いていた。
 五月七日朝七時バスで出発、皆相変らず元気な姿である。初めて見るカナディアンロッキーには、キャッスル山、ルイーズ湖、モレイン湖、ペイト湖、他約三百ヶの湖がある。その中でもレイク・ルイーズ(ルィーズ湖)は背後にビクトリア山がそびえ、ビクトリア氷河の散歩は昨日の様に思い出された。
不思議な青緑色の湖、そしてエメラルドグリーンの湖水をたたえた宝石の様な氷河湖は何回でも皆へ伝えたい美しさだ。
 まとめは二つある。
 ①地球の温暖化でルィーズ湖やビクトリア氷河はどうなっているのか?
 ②北極圏の氷山の崩壊とツンドラの氷床の消滅が心配になる。
 以上