かわち野

かわち野第五集

ジェットコースターに乗り込む

SAI KEI

 二〇一六年の夏から、私には、まるでジェットコースターに乗っているかの様な出来事が次々と起こり、今もこの先どうなって行くのかと不安と心配が常に交錯している。
 二○一六年八月一八日、夫が膵臓癌の手術を受けた。器官の四か所をつなぎ合わせる大変な手術で九割方あきらめていたが、幸いにも命を取り留めた。体重が十二キロ減り、夫はカトンボのようになったが、二か月に一度検査に行き、今は栄養状態も良く、なんとか元気に暮らしている。私の役目は食事の管理のみである(異常に食べるのが心配ではあるが)。
 夫の手術が終わり、ホッとして一ヶ月経った頃、しばらく休んでいた真美体操クラブに顔を出した。その日は抜けるような青空で、久し振りに外で思い切り身体を動かそうと張り切った。ところが急に身体を動かしたものだから、足がついていかず、転んで右手首を複雑骨折してしまった。主婦にとって右手が不自由なことほど辛いものはなく、自分の不注意で……と思うだけで悔しい思いがこみ上げてきて、しばらく、イライラした日々を過ごしていた。
 そんな時、連休がやってきた。ああっー、やっと娘に家事を手伝って貰えると期待した。
 ところがである。
「あのね~。悪いねんけど、友達と九州に旅行に行く約束してるから、無理」と、平気でヌカス。
 怒りが頂点に達した。普段からろくに役に立たないし、何の期待もしていないのではあるが、母親が右手を骨折し、父親も病後でまだ身体もしっかりとしていないのに、何も思わないのかっ。こんな子供に育ててしまった自分が情けなくなった。こういう時こそ助け合うのが家族ではないのか、と私は娘に怒りをぶちまけた。娘はさすがに驚き、反省したのか、旅行を取りやめ、それから二日ほどは、しおらしく家事をしてくれた。
 しかし、喜んだのも束の間、
「あのね~。言いにくいねんけど、クーちゃんから電話あって合コンのメンバーどうしても一人足らんから来て欲しいて言うてるねん。行ってもいい? 夕飯は作って行くから」と又凝りもせず、ヌカス。
ああっ、この娘は二日が限界か! どうせ又、娘の思っている様な相手が見つかる訳でもないのに、と心の中でつぶやいたが、後で文句を言われるのも……と思い渋々了解した。  それから五ヶ月後、二〇一七年三月のある日、突然、
「やっと、良い人が見つかった。今度連れて来る」と言う。娘が男の人を連れて来るなんて初めての事。私達夫婦は疑心暗鬼に陥った。年も年なので、焦って変なのに引っ掛かったのではないか。私たち夫婦でよく見極めねばいけないと夫と話し合った。
 その週末、早速、娘は相手を連れて来た。私は緊張して道路まで出迎えた。何と黒の「BMW」ではないか──。いよいよ怪しい。ひょっとして違う世界の人かもしれない。最近はその世界の人も一見、見分けがつかないらしい。どんな奴かと目を凝らして車を覗いていたら、もうすでに横に立っていた。ギクッ。慌てて挨拶をすると、ニコニコして、「こんにちは!」と歯をむき出している。嫌に歯並びが美しい。何か拍子抜けの感じがした。夫も最初、緊張していたが、音楽の話で意気投合し、彼がギターまで演奏してくれた。そんなこんなで話が急に纏まった。
 その年の五月二十九日、夜、湯船で何気なく胸をおさえると、左胸にしこりがある。母親がカルシウムの塊を二回ほど取った事があったので、それかな……と思ったが、近くの医院で一応診てもらう。
「今から、紹介状を書きますので、すぐ近大病院へ行って下さい」との事。近大では、触診だけで「これは、癌だと思います」と言われる。それから二週間の間、エコーやCT検査、MRI、細胞の検査があり癌が確定する。幸い1期でリンパ節への転移がなくホッとする。
 六月二十七日、いよいよ手術。簡単に終わる。その後六日間の入院で帰宅できた。しかし、乳癌は再発しやすく、その後、放射線治療、ホルモン治療、抗がん剤治療で徹底的に抑えるとの事である。髪もバッサリ抜けるらしい。この暑い最中、八月一日から九月五日まで、土日を除いて毎日近大病院に通った。
 放射線をだいぶ浴びたので、今はかなり疲れてきている。しかしこんなことで、弱ってはいられない。孫も生まれたばかりで、私には背負っているものが一杯ある。
 でも、本音を言わせてもらう。こんな運命のジェットコースターに乗り込んでしまい、
「あー、しんど」