かわち野第七集
深い秋
山田 清
十一月下旬、外気は冷たさを増す。
三年前の秋、少し厚着をした私は、平日の南海高野線・千早口駅に降りた。朝と呼ぶには遅すぎる午前十時、降車したのは私を含めて二人。無人の改札を通り過ぎ、駅前の案内板と地図とを見比べて目的地の確認をした。
一ヶ月ほど前に、今年の秋は奧河内・九華山地蔵寺の紅葉と決めていた。河内長野市の情報誌『輝く』の表紙を飾っていた写真、『秋色の参道』が決め手だった。それは、あざやかな紅色で溢れていた。
線路沿いに暫く歩き、天見川に架かる清瀬橋を渡った。橋の下には、川に寄り添うように細い道がある。その道は、長い勤めを終えた翌年の春、これからの自分を探しての街道旅で歩いた道だ。数えればもう七年になる。世界遺産である聖地高野山への参詣道、高野街道だった。
やっと青に変わった、国道三百七十一号線の信号を渡り、山手へと入った。季節外れのコスモスがまだ咲いている更地。青苔がジャリ道にまで茂っている。熟しきった柿、色とりどりの寒菊。民家はあるのだが、人影はない。鳥の鳴き声だけが静かさの中に響いていた。風景を楽しみながらゆっくりと、山道を登って行った。
地蔵寺は、山あいの緑を背景とした赤と黄のかたまりの中だった。境内の紅葉は、すでに訪れていた数人の写真家に、その美しさを惜しげもなく披露していた。全てが、あの情報誌の写真と一緒だった。
門前への道で歩みを止めて見上げれば、柔らかな秋の陽光が、深紅の葉に透き通る。そんな中にもかすかに緑を残した葉があり、黄色い葉もある。木洩れ日がまぶしい。紅葉の美しさは、まさに逆光にある。
時折、いたずらな風が山裾をわたると、ハラハラと秋が散る。深紅の上に黄色が降り注ぎ、その上にまた赤色が重なる。雨風やきびしい暑さを乗り越えた者達は、生をまっとうしたとばかりに、活き活きと散っていた。懸命に生きた紅葉は、散ってもなお美しい。鐘楼の丘に、塀の屋根にも参道にも、成し遂げた誇りが積っていた。それは、尊敬すべき錦の色だった。
静かな里山の寺だった、深秋の地蔵寺。
私は、振り返りながら来た道を戻った。
地蔵寺の秋を惜しみながら、南海高野線・千早口駅に着いたのは、午後の二時前。
陽射しはやや西に傾いてはいるが、まだ暖かく帰宅するのには早すぎる。もっと沢山の秋が欲しくなった私は、迷うことなく線路下の道を通り抜けた。
民家の間の細い道をたどり、山の中腹にある石塔と御堂の寺、薬師寺にお参りした。誰もいない境内は、ただただ静かだった。木洩れ日に照らされた、お寺さんが置いた雑記帳をめくった。同じように秋を探して訪ねてきた旅人の、いくつもの心に触れた。
私は、薬樹山延命寺を目指した。
うっそうとして昼なお薄暗い山林の中、上りがあったり下りがあったり、ただ一人歩いた。わずかに聞こえてくるのは、自らの足が土を踏む音のみで、静寂が少々怖かった。林を二つほど通り抜け、畑の間の細い小道を右に折れると、延命寺の参道はすぐだった。
山門の屋根や白壁の塀の上から、秋があふれ出ていた。夕方近くなるのに、かなりの人だ。ナンテンの葉と実、色付いたドウダンツツジ、そしてイロハ紅葉、それらにお多福ナンテンが加わっての、赤色の競演だ。常緑樹の濃い緑と木造の古い建物が助演する。
山里の、深い秋は美しい。
山門を出てしばらく歩くと、野菜の販売所があった。富有柿、白カブに大根、白菜にネギ、干し柿用の柿などが並んでいた。
「この先、この前の台風で道が崩れ、千早赤坂へは行けませんよ」
同年代と思われる女性の店員さんが話しかけてきた。
「三日市町駅へ行きます」
この日、はじめての会話だった。
集落の外れで石垣に腰掛け、販売所でオマケをしてもらった量り売りの焼き芋を食べた。しばらくの間、忘れていた秋の味だった。
一杯の秋を見つけた、足が重い。
集落と集落をつなぐ石見川沿いの七曲がりの道。家々や庭の木々に長い日差しがさえぎられ、陰ったりする山間を歩く。
晩秋の西日が、駅までの道案内だった。
了