かわち野

かわち野第四集

青天の霹靂

坂下 啓子

 「大丈夫やった!」。癌を疑ってCTを撮りに行った夫が帰って来て言った。私は「よかったー」と、両手を挙げた。「CTよーく診てもお腹になにも写ってないって」。私はドキドキして待っていたので本当に嬉しかった。それが、七月初めの事だった。
 しかし、何かスッキリせず、高血圧症で診てもらっているついでに、本人から血液検査を依頼した。結果、異常値が出て医師が驚き、近大病院狭山に予約を申し込む。私たちは十日程もイライラしながら待ち、やっと診察してもらったのが七月二十三日だった。
 検査の結果、あと少し遅れたら、肝臓がダメになるところでしたとの事。それで、即入院。消化器内科で応急処置をしてもらい、次の日、内視鏡で膵臓の組織を取ってもらう。
しかし、すぐには解らないが、血液検査やPETの画像状況から、どう考えても膵臓癌が疑われるとの事。
「青天の霹靂」
 外科の教授も、99・9%膵臓癌だと言われる。
 夫は四十年働いてきて、一度、社員食堂で三十人位一緒に、食中毒で二、三日入院した事があっただけ。病気らしい病気はした事がない。
 こんな事が、起こるなんて──。
 癌の中でも「癌の王様」といわれる膵臓癌。
──よりによってなんでやのん!
 夫は死ぬかもしれない。私は何から手を付けたら良いか解らない。
 癌を宣告された教授は、その道ではかなり優秀な方で、テレビ出演もあり、近大病院の副院長だった。腕は確かであろう。もう任せるしか道はない。「八月末に学会があるので、それまでに手術しましょう」と言われる。
 手術までに、多くの検査があるが、とりあえず、一泊二日の外泊許可を貰うことにした。 身辺整理と言っても、手の付けようがないが、夫は遺書を書いておくという。一時間半かけて書いてくれる。かなりつらそう。
 夫が帰って来た土曜日は、丸太小屋のレストランで娘と三人でランチ。夕食は和食にする。明くる日は、暫く脂っこいのは食べられないので、ステーキ。人間こんな時、結局食べる事しか思いつかないものらしい。特に私は……。
 暫くして、また病院に送って行く。車の中で今度、何時帰ってこられるだろうか? 絶対治してもらう! 色んな思いが交差する。
 私は医師から手術の説明を受けるが怖くなる。説明によると膵臓癌の場合、周りをザックリ取り除く。膵臓を四割、胆のうは全摘出,胃も少し切り膵管をつなぐ。四か所をつなぎ合わせるとの事。今より10キロ痩せますと言われる。現在の写真を取り敢えず撮ってみようと私は思った。しかし、「遺影にするのか」と夫が縁起の悪いことを言うので止める。
 手術当日は、息子も娘も休みを取り、家族で励ます。歩いて手術室に入り、ビニールキャップを被せられ、ドアが閉まる瞬間、笑って手を振った。何とも言えない気分。5~6時間かかりますと言われていたが、3時間半ぐらいで終わった。手術後、教授が血だらけの手袋をして取った内臓を見せて説明して下さるが、私は上の空。ステージ3と言いましたがステージ4Aかな、と言われる。
 集中治療室に行くと、夫は寒い寒いと、ガタガタ震えが止まらないでいる。電気毛布の温度を最大にしてもらっても震えている。見ている私も震えてくる。
 子供たちは、膵臓癌の場合、半分の人が手遅れで手術出来なくて見つかるから手術出来たのは良かったのだと言う。でも良かったなんてとても思えない。膵臓癌になったこと自体が不運ではないのか。10万人にたった10人の割合しかならない病気なのに。
 昨年の今頃、二人で伊吹山に登っていた。一泊して竹生島で御札をもらい、長浜を散策した。土地の名物のサバソーメンが美味しかった。屈託なく笑い歩いている楽しそうなビデオの中の私。夢の中の世界に思える。今ベットで震えている夫の姿のみが現実。
 夫は定年退職してから、3年間看病して夫の父、93歳を見送り、続いて昨年は私の母だった。今、夫の母94歳が入院中である。考えると、私達二人で4人の親の面倒をみた17年である。
 夫の両親が長生きなので、夫も長生きすると信じ切っていた。私の父は12年前に肺癌で亡くなり、母も大腸癌を患っていたことがある。私の方が、癌筋なのに……。
 命の終わりは誰にも分からない。人には定命があるという。でも、今はとにかく、生き抜いて欲しい。
「私が全力で治してみせる」