かわち野

かわち野第四集

合わせ鏡

松本 恭子

 揃って八十歳代後半で、何ごともスローテンポな老女三人の旅は、気は若くても一つや二つの病持ち。随所で老いを認めつつ開き直ってたのしんだ。
 四月のはじめ、東京の友「(つぼ)さん」こと坪川ユヒさんから電話があって、愛猫の死のこと、めっきり脚が弱り何処に行くにもタクシーを使い、週の殆どが病院通いだと嘆いた。
 元気そうな私を羨ましがり、「又、三人で会いたいわ」と言うので「じゃ、旅行でもする?」などとつい口走ったばかりに、その気にさせられ、全てをまかされた。神奈川の秀子さんも「わぁ―、楽しみ」と賛成してくれた。
 杖が頼りの坪さん、緑内障で治療中の秀子さん。二人の体力を考慮し熱海あたりが適当かと思った。が、いちばん遠い私は損得勘定では不利だと卑しい考えが浮かび、いやいやいちばん元気なのは私だからと打ち消し進めることにした。その夜、東京の娘にネットの検索を頼んだ。
 翌日の報告で、熱海温泉「大観荘」の評判が良く、理由と由来を聞いた。
 昭和十三年、中山製鋼所の創業者、中山悦治郎翁が建てた別荘で、その後旅館に転じた。横山大観画伯は熱海を愛し、しばしばこの旅館に宿泊していて、旅館開業にあたり画伯の名を頂けないかと乞われ、「ここからの雄大な眺望は大観の名にふさわしい」と快諾したそうだ。
 大観荘の湯は温まり効果、リラックス効果に優れ美人の湯と言われ、加えて「一味一客」を大切に、新鮮な海、山の幸、季節の素材を厳選。旬の味覚を堪能して頂く「おもてなし」の心をモットーとしているという。
 ネットの評価を信じ、三人の都合も良い六月の九日、十日と二連泊の予約を入れた。一泊目は海側の五階、二泊目は庭園に向く二階で希望の同じ部屋がとれなかった。昨年リニューアルしたばかりで、どちらも温泉を引いた檜の内風呂付きだった。一泊、三万三千円が相応の料金だとしても、高いなーと感じる。でもふたりが了解し、娘にも「良さそうよ」と促され、たまの贅沢も良しとした。
 楽しみは駆け足でやって来て、天気上々の当日、約束の熱海駅PM一時から二時までにお洒落をした三人は、順々に顔を合わせた。
 五年ぶりだが坪さん、秀子さんのオーラに老いを感じなかった。薄い色のサングラス、同色の花飾りがポイントの茄子紺の帽子を斜に被り、粋な感じの秀子さん。耳元で「素敵よ」と囁やくと口角を上げにっこりした。
 真赤なマニュキアは坪さんのトレードマークで、知るかぎり一度も変らない。爽やかな青のパンタロンスーツに金の鎖や真珠の長いネックレスを二重、三重にかけて、大柄な体を左右の杖とカートで支え、ゆっくり歩いて改札を通ってきた。
 私は黒のパンツに透けるグレーの上着、インナーも色調を変えたグレーで、無難でもやや寂し気。上着の衿にカメオのブローチをつ けると装いが少しアップした。
 首の回りを飾るネックレスは、昔々結婚十年目の夫からのプレゼントで、直径五ミリ程の小粒のミキモト真珠。私も一緒に選んだピンク系で十万円だった。支払いの紙幣の中に何枚かの五千円札が混じっていて、コツコツ貯めたのだろうと察した。私には始めての宝石だったが、ピンクはお肌を綺麗に見せますよと言われ大切な物になった。
 さて、ふたりの感想は如何に?
 何はともあれタクシーをとばした。眼下に穏やかな太平洋が広がる大観荘は玄関先に水を打ち客を迎え、入口までの数段を宿の人が手を差し伸べ、エスコートしてくれた。
 しかし、別荘が旅館に変身していった理由のように、右に左にと折れ曲がる廊下。部屋やお風呂へ行くにもエレベーターを三、四度乗り継いだ。覚えきれないわと異口同音の三人に対して「階段を行けば早いですよ」と言われたが、よたよた老人には意地悪にひびく。結局、大浴場には往復の案内を乞い、ゆっくり美人の湯に浸った。広い浴槽でああ幸せとひとり言を言う。泉質効果で皺が伸びたと笑い合い、お迎えコールの電話をした。
 期待以上だった満点の料理は、美しい器に旬の素材、上品な味で次々運ばれてくるものを「美味しい美味しい」と呟きしっかり頂いた。また、残酷とも思えた活鮑料理。目の前で鮑を小鍋に閉じこめ火を点けると間もなくばん!と音がした。世話係の人が、「あっ、今のは断末の声ね」と冗談を言い、食べやすいように切り分け、バターをかけレモンを絞ってくれた。厚い身で柔らかく心までとろけそうだった。
 三人の交流は六十数年に及ぶ。若駒が弾むように青春を共にした職場仲間で、思い出は尽きず糸を紡ぐように語りあかした。檜の香る内風呂に好きなだけ浸かり温泉も堪能できた。
 二泊三日の老女たちの旅は無事に終り、東京、神奈川、大阪へといよいよ別れる間際になって、「あなた腰が曲っているよ、気を付けなさい」と言われ、案じてのことと思っても「坪さんだってすっかり猫背じゃないの」負けん気で言いかけ言葉を呑みこんだ。地面を探るように歩く秀子さんもみなと同様に年を重ねていた。
 自分の後ろ姿は見えないけれど、おたがいさまの老いは合わせ鏡のようなものだと思った。
 ずばり言い合っても気心を知りつくす三人は、再会を願い大きく手を振り〝さようなら゛をした。