かわち野

かわち野第五集

ラジオ塔

山田 清

 二人は、グランドも併設された、大きな公園に来た。
 冷たい北西の風は、今度は背中から吹き付けてきた。園内を照らしている灯りは、師走に入って十一日目にやってきた、この冬一番の寒さに震えていた。
 私にとって初めての道、歩道があったり無かったりで、街灯も少ない。車両はまぶしい光を浴びせて通り過ぎる。そんな危険な夜道を、厚手のジャケットを着て、手押し車を押しながらのお母さんと一緒だった。
 二重に巻いた襟巻き、目深にかぶった帽子も、手袋も温かそうな手編みだった。私は、親しみと尊敬を込めて、その人を「お母さん」と呼んだ。
 歩幅は狭いのだが、とても九十歳とは思えない早いピッチの歩行だった。やはり、初対面の私に対する怖さが、自然と歩みを早めさせているのであろう。
 無理もない。
 つい先ほど、かかりつけのクリニックで出会ったところだった。私は診察を終え、身支度をしながら会計を待っていた。私より四人後の、診察ナンバー十五番のお母さんがいた。
「外は、もう真っ暗になった。帰り道が怖い……」
 窓の外をながめながら、診察券を握ってつぶやいていた。人相に自信の無い私。急いでマスクとメガネをはずして、正体を明らかにした。
 そして「私でよければ、ご一緒しますよ」
 クリニックの受付に聞こえるように、あえて大きな声で言った。
「私の家は、ラジオ塔の下です」
 どうやら最寄り駅に向かう私とは、正反対の方向であるようで、申し訳ないという思いが伝わってくる。診察を終えたお母さんを待ち、二人で室外に出た。暗さが寒さを増幅していた。
 私は、車両側を選んで歩き、何よりも会話を切らさないように心掛けた。交わす言葉から、九州の出身だと、すぐに解った。やはり鹿児島は鹿屋の生まれ、カラオケと銭湯が好きで、今日は薬をもらいにきたのだとか。五年前に夫を亡くしたこと、明日は、娘さんのお迎えで別の病院に行くのだとか。勿論のこと、私自身の紹介を交えながら、会話をつづけた。
 三十分ほど歩いただろうか、住宅街道路を曲がると、目的地である赤と白のラジオ塔の下に着いた。それはラジオ局の送信塔であり、見上げれば四十メートル位あるのだろうか、寒空に消えるように伸びていた。
「あの灯りのついている家です。孫も帰っているようです」
 手押し車を止めて、何かを取り出した。
「助かりました。本当にありがとう。これを……」
「私は、そんなものを貰うために、お送りしたのではありません……。寒いから、早くお家に入って下さい」
 路地の角、お母さんとのやりとりがあった。
「少しはやいですが。どうぞ良いお年をお迎え下さい。お休みなさい」
 私は、たてつづけに言葉を告げると、逃げるようにその場を離れた。自照、人相悪の私を受け入れてくれたお母さん。やさしさを貰ったのは私の方なのです。
 亡くなって十三年になる、実の母親。冬の夜道のこんな時間が、私にあっただろうか。たどれば遠い昔の、かすかな記憶のなかにあった。
 向かい風となった、一人のかえり道。
 私は、やさしさを押しつけていたのではないだろうか、心から嬉しく思ってもらえたのだろうか。自分に問いかけ、自分で答えを探しながら、再びクリニックの前を通りすぎた。
 私が最寄り駅に着く頃、あのラジオ塔から電波が送信されている様な気がした。
 お孫さんも一緒、家族そろって温かい鍋を囲んでいる。
 そして「お母さん」が、語り始めた。
「今日ね、こんなことがあったとよ……」