かわち野

かわち野第七集

先を案じても

三浦 佐江子

 梅田の地下道は、夕方4時を過ぎると仕事帰りの人たちで溢れだす。混雑する前に帰りたい。少しでも早くと御堂筋線の改札から、中百舌鳥方面行きへの階段を駆け下りた。電車はまだ来ていない。 
 列の6、7番目に並んで一息つくと、すぐ後ろから、
「ここと違うやろ!」
 刺々しい女性の声がした。何が起きたか確かめたいが怖くて振り向けない。
「本町で乗り換えやから、ここで間違うてないよ」
 と、しわがれ声が返している。
 女性は、何度も乗り場が違うとヒートアップ。もしや私も間違いかと、思わず駅の表示を確かめた。そろりと振り向けば、私より年配の夫婦らしき二人連れで、80歳ぐらいの男性は困惑顔だ。
「本町に行かはるんですか、このホームで大丈夫ですよ」
 そう伝えると、女性は一瞬極まり悪そうな表情を見せたものの、
「ここ、でよかったんですな。わたしら緑橋まで帰るんですわ」
 と話しかけてきた。
「半年に1回デパートに化粧品を買いに来ますねん。久しぶりに出てきたら、どこがどこやらわからんようになって、梅田はややこしいですなあ、来るたびに違うお店になってたりして
……」
「ほんと、ややこしいです。私もよく間違えますよ」
「お宅もですか」
 爆発寸前だったのに、笑顔になっていて胸をなでおろした。電車に乗り込むと、
「お仕事ですか?」と聞かれる。
「いいえ、とっくに辞めています。今日は買い物です」
 そう返すと、納得した様子だ。
 電車が動き出すと、ふらつく妻を、夫がそれとなく支えている。そのやさしさが私にも伝わってきて、温かな気持ちに包まれた。     「私は、ずーっと働き続けてきましたわ。よう働きました。今日は化粧品を買いに来たんです。半年に1回梅田のデパートに……。お仕事ですか?」
 とまた同じことを聞くので、同じ答えを返し、難波から南海高野線に乗り換えると言えば、

「遠いですな
 と返してくれた。芯が強そうで、気配りのできそうなお顔だ。生き生きと仕事をされていたのだろう。
 すると、またまた同じ話を繰り返す。ひょっとして、認知症になりかけかも、と気が付いた。
 夫に付き添われ、梅田までこだわりの化粧品を買いに来るのか。夫は職人風だ。若い時に妻に苦労を掛けた罪滅ぼしか、よっぽど妻のことを大切に思っているのだろうか。これまで共に生きてきたら、お互い支えになっているのかも知れない。
 私が30年間同居した夫の母は80歳代で、実父は90歳代で認知症になった。二人とも何度も何度も同じことを尋ねた。義母も実父もさぞかし不安なんだろうと思う一方、何度も聞かれると辟易した。多くの言葉を失い、残されたわずかな言葉で、何とかつながりを求めているようだった。
 この女性も、そうなのだろうか。
 この夫婦を見ていて、10年も前に私の先輩であるヨシコさんが話してくれたことが甦った。
 ヨシコさんの夫の兄嫁が、認知症で入院した時のこと。兄が病室に来ると「帰れっ!!」と罵声を浴びせ、物を投げつけたという。認知症になる前は、極めて上品な人で、笑い声はいつも「おほほ」だった。絵にかいたような「良妻賢母」で夫には逆らわず、子育て中も怒り顔を見せることも怒鳴り声など、一度も聞いたことがなかったそうだ。
 兄嫁のあまりの変わりように唖然としたヨシコさんだが、夫に従うだけの良妻賢母は良くない。自分の正直な気持ちに蓋をし続けると、蓋ができなくなった時に我慢してきた本心が噴き出すのは恐ろしい。そうならないために、夫婦はお互いに意見を聞き、話し合えるのが何よりで、対等な関係を築くのが、どれほど大事かを確信したと話してくれた。ヨシコさんの確信は私にも根付いた。
 ヨシコさんは、子育てを終えた1980年に大阪府の「婦人問題講座」の1期生で、女性学を学んだ。私は講座の5期修了生で、繋がっていた。その後の1993年、ヨシコさんは高齢者問題にかかわるNPOを仲間とともに立ち上げ、今も活動を続けている。
 我が家には思いやりを見せてくれるが、私の声が届かない夫がいる。
 我が道を行く人だ。道を歩くときも先導するが、間違った方向に案内することがある。違うことに私が気づいて声をかけても、どんどん行く。何度も繰り返されると、私も考えた。
「どうぞ行ってね。私はこっちに行くから」と返すことにした。
 2025年の超高齢社会では、高齢者の5人に1人が認知症になるといわれている。認知症になっても受け入れやサポート体制はまだまだ不十分だ。だれもが生きやすい社会には程遠い。
 私が病んだとしたら、夫は寄り添ってくれるのだろうか……。心配性の私は考える。まあ、先を案じても仕方がないか。
 本町に着いたが、二人は降りそうにない。知らせると、お礼を言われ、「お気をつけてお帰りください」と声をかけた。
 大変なこともあるでしょうが、頑張りすぎず、できるだけ長く日常が続くようにと祈るような気持ちで、ホームを歩く二人を見送った。