かわち野

かわち野第八集

最後のライン

岩井 節子

 買い物の途中にそのラインに気づいた。
アンさんからのラインを開くと、「放射線の治療に入ってまだ三日目なのに食欲もなくきついです」とある。
 アンさんは、子どもが小学生の頃から三十年来の友人である。彼女が癌になったと聞いたときのショックがよみがえり、頭の中はまたまた「何で? 何で?」のパニック状態。私はなんと返信して良いか思い付かない。今や二人に一人は癌になる時代とは言っても、癌は治る病気になったと言っても、やっぱりたいへんな病気である。放射線治療のしんどさもよく知っている。
 バイクで帰るのに、ぼんやりして車の矢印ばかり見て、前方のバーも何も見ていなかった。イズミヤの駐車場は最近有料になり、ゲート式になっていることもすっかり頭から飛んでいた。入るときは、バーの横のバイク通路を通って入ったのに……。思いきりバーに顎をぶつけ、バイクが横滑りしてから初めて自分の侵した過ちに気がついた。いくら彼女のことで頭がいっぱいだったとは言え、眼前に迫る改札機もバーも見えていなかったとは……。
 幸い顎の傷も、肘の傷もたいしたことはなかったので、アロエをペタペタと貼って、傷の手当てをした。あれだけのバ-パンチを受けて転けたのに、これだけの傷で済んだのはバーに勝ったみたいな気がして夫や友人に自慢しても、「お互い歳なんだから気を付けないとね」と忠告されるだけだった。
 落ち着いてから、彼女に
「当方スーパーの駐車場で〈猫パンチ〉ならぬ〈バーパンチ〉を受けてしまいました。身体は大丈夫ですが、バイクが少し歪んじゃいました(^0^)」とラインを送ると
「大丈夫? バイクの修理代高くならないといいね」と彼女らしい至極真面目な返事が送られてきた。
「入院してもお見舞いなど要らないから、面白いことがあったらラインしてね」と言っていた猫派の彼女。普段なら笑い話になりそうな私のドジに呆れて、一瞬でもつらさを忘れてくれたらと思ったのだが……。
 何か明るいニュースはないかと探しているうちに、コロナ禍の自粛生活。それは闘病中の彼女にとっても、仕事を持つ娘さん達にとっても大変なことだったと思う。一度入院したら面会もできない。そんな中、本人と家族の強い希望で自宅療養を続けていた。
 初孫の誕生やその様子を知らせる嬉しそうなライン。しかし、楽しい動画を貰っては送っていた私のラインに、「癒やされる~」と言っていた彼女の返信はだんだん短くなってきた。闘病生活に入って一年半以上も過ぎた今年四月、私のワクチン接種終了の報告をすると「今までより又会えますから家にも来てね♪。待ってま~す♪」と久々に明るい返信。
 それから一ヶ月もしないうちに、「母はもう食べることもできなくなりました」と娘さんからのライン。
 そして「亡くなりました」という電話。
 元気な姿だけ覚えておいて欲しいと言う彼女の希望でお見送りも家族だけでしたという。そう言えば彼女、いつも笑っている顔しか思い浮かばない。「きつい」と言う言葉を聞いたのも最初の一回だけ。話す元気が有る時は、彼女のために一生懸命やってくれている娘さん達への感謝とその様子を嬉しそうに話していた。それに報いるためにも笑顔で生きようと決めているかのように……。
 娘さんが携帯電話は五月末まで解約しないでおくと言ってくれた。
 契約の切れる前日、「ありがとうございました」とだけラインで送る。
「アンさん、よく頑張ったね。お疲れ様」の言葉は、娘さんに伝えたかった「幸せになるのだよ」の思いと共に胸にしまった。