かわち野

かわち野第九集

コロナ禍の中で

西村 雍子

秋雨が静かに降る十月半ば、昨日までの夏日を思わせる暑さが少し和らいでほっとしている。八月から咲き始めるはずの芙蓉の花が、今年は十月に入ってから咲き始めた。世界中に新型コロナウイルスが蔓延し、あの夏の異常ともいえる暑さを思うと四季も変化してきたのではと思える。

 去る八月二十四日の朝、畑に行くと万願寺唐辛子がたくさん収穫できた。畑からの帰り、近くの友人におすそ分けし、持ち帰った中のほっそりしたのを、フライパンで焼いて昼食のおかずにしようと思った。まだ時間はある。
 エプロンを外して買い物に出かけた。
 帰ったのは丁度昼過ぎ。冷蔵庫に氷も出来ている。唐辛子を焼き、買物袋の中から、つまみになるものを皿に並べて食卓に置いた。そして冷蔵庫からライムの酎ハイを出し氷の入ったコップに注いだ。ああ、なんとも涼しげな細かな泡。暑さが一気に吹き飛ぶ。これで汗が退いたら、ゆっくり昼寝をしようと思った。
 ぐっすり眠り、三時前に目が覚めた。しかし、両腕がだるく痛い。冷房の風が強く当たり過ぎたからか、身体を起こして両腕をこすってみるが冷えてはいない。❘これは発熱だ!❘と直感。これまでの体験から、身体のあちこちが痛くなる。熱の出る時は、三十七度を超えると必ずこうなるのだ。体温計を取り出して脇に挟むと三十八度を超えている。
 ――コロナだ!
 二週間前に四回目のワクチン接種も終えている。
 やがて気を取り直し、氷枕を探したが見当たらない。仕方なく分厚いビニール袋に氷を入れてビニールの口を結束具で止め、その代用にした。小さい保冷剤をタオルハンカチに二袋ずつ包み両脇に挟んだ。携帯電話を手に取り、かかりつけ医師にと思ったが、はたと気が付いた。今日水曜日の午後の診察は休みだ。最悪の事態である。解熱剤を探す。薬箱から主人の飲み残しを一錠見つけ、大丈夫だろうと思い切って服用した。
 娘洋子に電話する。彼女は義父をコロナ感染が因で亡くしている。また彼女も主人との濃厚接触で罹患し、二人とも自宅療養で義父をなくす前に完治した等の経験があり、詳しく、頼みやすかったのである。
「ごめんね、お母さんコロナやわ。大きいほうの保冷剤と解熱剤を胃薬と一緒にお願い!」
「お母さん! 無理したらあかんよ。すぐ行くから。言うこと聞かんと怖いよ。死ぬんやから」半分脅されて大人しく待つ。夜八時を過ぎた頃に玄関が開いて彼女の声がした。
「お母さん、大丈夫? 部屋に入れないから、ここに置くからね」寝室のドアを少し開けて子供用の熱さまシートの箱を差し入れて、
「食べるものも、台所に置いているから」と言って、彼女は大阪市内の西長堀まで帰っていった。
 私は起きて保冷剤の交換のため台所へ行くと、テーブルの上には、湯を注ぐと直ぐにできる雑炊セットや、経口補水液OS1が三本置かれていた。私はすぐに保冷剤を交換し、身体を冷やすことに努めた。
 夜十一時過ぎ、携帯電話が鳴った。
「洋子やけど、剛君がお母さんが心配だから、行って泊ってあげようと言って難波まで来たけど……」と言ってきた。私は娘婿の剛君の思いやりに一瞬胸が詰まった。
「えっ、来なくていいよ。熱もちょっと下がったし、明日も仕事があるのだからお母さんは大丈夫」と恐縮して断った。
 しかしその後、昼寝が過ぎたのか眠れそうにない。体の熱さは部屋の冷房と保冷剤のお陰か我慢出来ている。そうする内、浅い眠りが続いて朝を迎えた。とたん、空腹を覚えて台所へ。湯を沸かして雑炊を一袋食べると、これまで水分補給ばかりの胃にしみ力を得た。やはり主人の薬が効いたのだ。
 朝、診察時間の確認をして電話をかけた。
「こちらの玄関の前で、もう一度携帯電話をかけてくださいね」受付係の女性の声だ。
「タクシーの利用はだめですねぇ」分かっていたが聞いてみた。
「専用のタクシーはありませんから」声の響きはコロナのためか冷たく聞こえた。
  コロナ受診。熱のための汗を拭き、身支度をする。診察券、保険証を持参。要らないかもしれないがカバンに入れる。まず陽性か否かの検査が必要である。クリニックの玄関で電話をかける。完全防備の看護師に案内されて職員用の入り口から入る。狭い靴脱ぎ場に丸椅子が置かれて、そこでPCR検査をする。
  長い綿棒を両鼻腔の奥へ差し込む。唾液をピペットに一センチ程入れてくださいとの事。直ぐに結果が聞けると思ったが、「午前の診察が終わったころにまた来てください」と。心の中で溜息が出た。
  昼過ぎ、結果は三つとも陽性ですと告げられた。医師も完全防備で胸と背中に聴診器を当て「まだ大丈夫。重症ではないね。処方箋を出すから、薬局で薬を貰って、朝晩食後四カプセルずつ飲んでください」
  家に帰って薬局からの袋を開けると、大きな変わった色のカプセルが入っていた。名前は(薬表)ラゲブリオ200mgである。五日分四〇錠、説明はなし。コロナの薬である。
 その日の外出はクリニックまでの二往復である。スマホを出して歩数を見る。丁度五千歩であった。
 遅い昼食を朝と同じ食事で済まし、暫くして玄関ベルが鳴る。出てみると、宅配の男性が手だけをこちらに伸ばし「保健所からです」と、大きな郵便パッグを渡される。
「あっ間違った! 出ては駄目だったのだ」
 届けられた袋の中身はパルスオキシメーターであった。「血液中の酸素濃度を測る医療器」説明書が入り、分厚い袋だ。器機は手の人差し指に挟むのである。
 説明書には93%の値が出たら救急車を呼ぶよう指示があったが、94%~92%間の動きが定まらない。急に下がっても困るので救急車を呼ぼうと思い時計を見ると七時半を過ぎていた。
 救急車は思ったよりも早く家の前に到着した。三人の隊員はコロナ感染防備服に身を固め、一人は私の傍らでSPO2測定を始め、一人は身体についての聞き取りをし、紙面に記載。SPO2、血中酸素飽和濃度の値は93%と、隊員持参の表示機には大きくはっきりと表示されている。
 一人は電話で搬送先を確認している。
「普通はこちらで探すのですが、今回は保健所の指示なので」
二、三分いやもっと短い間だったか。
「K病院? K病院ですね」搬送先が決定。
「奥さん入院の準備をしてください」
隊員の言葉に促されて、準備を始めると同時に、緊張がほぐれたのか肩から力が抜けていく。
体温の計測もして貰ったが、何度だったのか記憶にない。
 保険証、内服薬、目薬、着替えをショルダーバッグと買い物袋に詰め込んで、マスクをし、救急車に乗り込んだ。気持ちの高ぶりもあり、忘れ物もあるだろうと思いながら・・・…。
 九時は過ぎていただろう。車は310号線を病院へと向かった。
 病院の救急車専用入り口に着く。
まず、レントゲン室へ。胸部写真を撮り、寝台から車椅子に乗り換えた。その時には救急隊員の姿は見えず、看護師に交代していた。
 愈々入院。車椅子で新館北病棟二階へ。263号室、個室である。まだ新しく広い。洗面台、背の高いサイドボックス(上は物入れに、中ほどにテレビが置かれ、下に冷蔵庫が設置されている)。次にベッド。その横に同じ高さのサイドテーブルがあり、上に小型の空気清浄機。そして丸くて可愛い置物がある。後で監視カメラと知る、AI‐ezviz(511)である。
「寝巻に着かえて、ベッドに。下着はこれを」大きな包みから出されたのは介護パンツだ。
使用初体験! 寝巻も、洗面用具、湯飲みコップもリースで備わっていた。シャワー・トイレ付。部屋から出る必要もない。
「テレビは見放題です」私の望むBS放送はない。
「水分補給はこれを」長めの透明な入れ物に麦茶らしきものが入っている。今日から十日間のコロナ療養生活が始まる。熱はなさそうだ。カプセルが効きだしてきたのかな?
  忘れていた。医師の診察がない。二、三日して声が。男性看護師の声かと勘違いして、「えっ!」驚いた。眼だけを出して完全防備。
「マスクをして!(𠮟責だ)レントゲンは影もなく大丈夫です」マスクを探しながら「ありがとうございます」慌てて頭を下げた。
医師も看護師も説明は極めて簡潔に済まされる。医師は踵を返すように出ていかれ、再度会うことは無かった。担当医師? もしかして院長? 名前も顔も分からずのまま……。
 上げ膳据え膳。朝晩の膳には、五日間あの薬が載せられてきた。入院して何日目だったか。あの日も雨。窓の外は国道310号線だが、車が行きかう音は全く聞こえない。雨のせいか、それとも防音? 晴れの日も静かで廊下で看護師の声が聞こえるだけであった。
  毎日二、三回の看護師による検温、血圧、SPO2の測定があり、一日三食の食事が運ばれ、下げられる。看護師さんは完全防備。わかるのは声だけである。今回初めて男性の看護師さんのお世話になった。声の違いで分かったが他は何ら変わりはなかった。驚いたのは、点滴の保留針が細いビニールであった事である。
 九月三日、無事退院。
 多くの看護師さんにお世話になり、痛みも、発熱も後遺症もなく退院することが出来た。そして再び、畑で収穫でき、趣味を満喫できる今を取り戻せたのは、お世話になった皆さんのお陰と、唯々感謝するのみである。
 今もまだ、外は静かに雨が降っている。
「あぁ本当にこの日があって、良かったね」と声に出して自分に呟いた。