かわち野第三集
開頭術
西村 雍子
今年五月の脳外科受診、主人の髄膜腫のMRI検査の結果を聞く日である。診察室に入るとモニターに頭部MRIの画像が写しだされている。髄膜腫が随分大きくなっている。
「そろそろ手術をしましょうか・・・」
「えっ まだ四、五年は大丈夫だったのでは」
主人は一瞬言葉につまった。
「これ以上大きくなると、脳を圧迫し手足に障害が出ると困るしなァー」
医師は念を押すようにいった。
十年前の耳鼻科受診時、大学病院でのCT検査を勧められた。検査の結果偶然髄膜腫が見つかる。腫瘍は良性で心配は無い、と近くの、大阪南医療センターに紹介された。
そして 毎年一度MRIの検査を受けるようにと告げられる。その時は腫瘍も小さかった。あれから丁度十年目である
「年齢的にも今がいい。八十、九十なら勧めませんが・・」医師は告げた。
やはり早い方がよいのだ、主人も納得する。
頭を開き、髄膜腫の切除をするのだ。
八月四日術前検査をと、採血と、胸部、頭部のX線撮影、心電図検査を受ける。
八月十一日は、脳血管造影検査のため二泊三日の入院である。一日目は担当看護師より検査の流れについて説明あり、検査の承諾書に署名。造影検査は手首(橈骨動脈)から細い柔らかいカテーテル(管)を脳に流れる血管の根元(起始部)まで進め、そこから造影剤を注入することにより脳血管をX線撮影する検査である。
二日目 朝十時から絶飲食、開始は午後、主人は 車椅子に乗せられ検査室へ。
この検査にも多くのリスクがあると説明書にある。血管閉塞、脳梗塞の可能性があり薬剤、造影剤によるアレルギーやショック症状の危険性と、まだ他にもと聞かされると心配になるが、必要ならばと承諾した。が、出来るだけリスク無く、と検査の終了を祈る。
検査時間は約一時間、主人が病室に帰ってきた。随分疲れた様子である。何しろ入院も手術も二十歳の盲腸手術以来らしく「もうへとへとや」と言う。
三日目 昨日の検査結果と本番の手術の説明を、主人と末娘の三人でカンファレンス室で聞く。加えて手術の前日に脳腫瘍塞栓術をと、長い説明がある。それは手術中の出血量を減らし、手術時間の短縮や、手術の安全性を高めるなど、丁寧な説明がある。要するに、また血管にカテーテルを今度は足の付け根(鼠蹊部)の動脈に入れ、腫瘍の側の脳血管を詰める手術であると言う。
「よく考えて、次の入院時に同意書を出してください」と言う事で一旦、退院する。
この入院中嬉しい出来事もあった。二月に結婚した末娘の妊娠が告げられた。
「良かったね」主人も嬉しそうで、久々の笑顔を見る。
九月一日 開頭手術のための入院である。
セカンドオピニオンも考えたが長年お世話になった病院にと同意書を提出する。
病室は東棟四階四〇八で前回と同じ部屋であった。脳塞栓手術は断る事にきめた。あまりにもリスクが多いと考えたからだ。
その結果輸血の承諾書の提出が必要となった。
術前処置や麻酔科の医師の説明など準備は大変であったが、主人は冷静(外見は)で、夜も良く眠れた様子である。
朝九時、車椅子で手術室の階へ、二人の看護師さんに付き添われ、向かう。
開頭術は予定時間の半分で終了、輸血もなくICU室で再会した主人は麻酔も解かれ、会話も出来、驚きであった。頭は包帯もなくガーゼが置かれており、次の朝には病室に帰り超スピードの経過である。トイレも介助付きで行く。三日目、普通食開始、創部も異常無し。だが二ミリ間隔のホッチキスの縫合が痛々しい。
手術から一週間後、ホッチキスは全部抜かれ抜糸ならぬ、抜鉤(ばっこう)がなされた。
傷も体調も順調に回復。腫瘍の組織検査も、MRI検査も、心配無しと告げられ、入院から十五日目に退院の許可が出た。
担当の医師を始め手術に携わって下さった多くの方々や、病室看護師の皆さんに深く感謝するばかり。そして家族の心配が、安心と喜びに変わり、静かな生活に帰れて安堵している。今は、平成二十六年の紅葉美しい晩秋である。