かわち野第四集
七夕の夕べ
岩井 節子
悠太が校庭で遊んでいた時に倒れ、この病院に運ばれてから1年近く経ちました。心臓の病気が見つかったのですが、手術もできないまま、4年生になってしまったのです。悠太は先週、看護師さんから『七夕祭りへの招待状』と1枚の短冊を貰いました。それには、6月15日(土)、夕方6時から、玄関のロビーで、『七夕の夕べ』を開きます。
少し早いですが、先生や看護師さんたちのピアノ演奏、コーラスもあります。みんなで歌を歌ったりして楽しいひとときを過ごしましょう!
*短冊にお願い事を書いて来てくださいね、と書いてありました。
夕方、病院に来たママにその招待状を見せると「行こう。楽しみやわ~」と言って嬉しそうに笑いました。パパが亡くなっていつも淋しそうだったママの嬉しそうな顔を見て、悠太も「うん」と笑顔で答えました。悠太のパパは、休みの日や会社帰りにいつも病院に来てくれていたのに、去年の12月、出勤途中に列車の脱線事故にあい、亡くなってしまったのです。悠太はたくさんの人が事故に巻き込まれ、この病院にも運ばれてきたあの日の事は、今でも忘れることが出来ません。ましてや、その中にパパがいるなんて思いもしなかったのです。「助かった人もたくさんいたのに、なぜパパが!」とママやおばあちゃん達が泣いて、お葬式もしたのに、悠太はまだパパが死んだ事が信じられないでいます。今でも「よう悠太、元気か!」と病室のドアを開けて入ってくるような気がするのです。
短冊には、「早く病気が治りますように!」と書くことにしました。本当は「パパに会いたい」と書きたかったのですが、ママを悲しませるような気がして書けなかったのです。
七夕祭りの日、いつもよりさっさと夕食を食べた悠太は、「まだ早いわよ」と言うママをせかしてロビーにおりていきました。
ロビーは、テーブルなどが片づけられ、奥の方にはピアノが置いてあります。椅子もたくさん置いてあって、患者さんや家族、近所の人達も集まっています。白い服を着たお医者さんや看護師さんたち。制服を着ていないと全然違って見える看護師さんもたくさんいてとても賑やかです。真ん中にある笹にはもうたくさんの短冊が結んでありました。まだ書いている人もいました。悠太はそっとマジックをとって、短冊の下の方に「パパ」と書いて笹の中の方に結びました。そうすればママに気付かれないと思ったのです。
皆で先生や看護婦さんたちの演奏や歌を聞いたり、一緒に歌ったりして一時間ぐらい経った頃、「皆さん、その場所から動かないで中庭の方を見てください」と言う先生の声と同時に、突然ロビーの明かりが消えました。皆驚いて、一瞬騒がしくなりましたが、喫茶室のガラスの向こうにある中庭を見てもっとびっくりしました。そこにたくさんの蛍が飛んでいたのです。蛍はす~と光りながら踊っているようにも見えます。
悠太が蛍に見とれながらふっと下の方を見ると、誰もいないはずの、照明の消えた喫茶室の椅子にパパが座って、笑いながら蛍を見ているのです。パパは悠太にも笑いかけてきます。そこには他にも人がいてコーヒーを飲みながら、楽しそうに蛍を見ています。悠太は小さな声で「パパ!」とつぶやいて、パパの方に行こうとしましたが、ぐっと我慢して立ち止まり、パパを見つめていました。近寄ったらパパが消えてしまいそうな気がしたのです。
悠太のおじいちゃんが「蛍復活プロジェクト」と言う活動をしていて、家でも蛍の幼虫を育てていたので、悠太たちは毎年、家族で近くの川へ蛍狩りに行っていました。今年も、パパやおじいちゃんと蛍狩りに行こうと約束をしていたのですが、悠太は悲しんでいるママやおじいちゃんにそのことを言えずにいました。でもおじいちゃんが、この病院で毎年行われている「七夕の夕べ」の事を聞いて、その時に自分たちが育てている蛍を飛ばせないかと、病院の人にお願いしてくれたのです。事故の事を知っている先生や、看護師さんたちの協力もあって、蛍のふ化に合わせた、すこし早めの七夕の夕べを開くことが決まりました。その思いを知った活動仲間たちも手伝ってくれて、この中庭に、たくさんの蛍を飛ばすことが出来たのです。
悠太はそれからも時々、ママに頼んでロビーまで連れて行って貰っては、喫茶室の方を眺めてみます。そこでは、亡くなったパパたちが、コーヒーを飲みながら、おしゃべりしているような気がするのです。もちろんママにはパパがいるような気がするなんて言いません。でもママもそこで中庭のお花を眺めながら、パパとコーヒーを飲んだことなど思い出しているのかもしれません。