かわち野第四集
十年日記
黒江 良子
還暦を前に買った十年日記。それまでノートに書いていたが、これだと一、二年前のその日に書いたことが、一目瞭然で分かり易い。
買うときに、十年と言うと、長い年月、未来という気がし、何だか欲張って厚かましいように思った。しかも十年日記は書く部分が少ないので、五年にしようかなあと迷ったが、各月の終わりのぺージに書く余白が十分にあったので決めた。
興に乗ると後ろの余白も書きページの横の余白にも書くこともあった。また一行で終わる日もある。書き始めの頃の日記の文面を読むと、人に見られても良いと言う思いで自分をよりよく書く部分がちらほら見える。
『日記は、どんなささやかな事でも本音をさらけ出して書かんと値打ちないやないの』と、
言うもう一人の私がいたり。
もっとも今は日記のページが厚くなるのと同じように、私の面の皮も厚くなり赤裸々に本音をぶつけている。夜、一日を振り返りその日の終わりに日記を付けて休むと言う習慣が続いている。
この十年間には家族が増え行間にふあっと膨らむ幸せを感じている日もあれば、身近な人の別れに際し、悲しみと喪失感で行間もギュッと狭くなる日もある。
総じて私には人に恵まれ、そして支えられ充実した多くの日々がある。
そんな中にも年々季節感が薄らいでいく寂しい思いも見える。特に今年は天高くすっきりとした青空は見えない。息つく間もなく次々と台風が生まれやって来る。
上陸し、やっと去ったと思いきや、きびすを返して再上陸。
上陸すると大雨、暴風の集中化、激甚化し、日本列島は大丈夫かと心配したりしている。自然の猛威になすすべもない人間の無力さを感じる。人間の勝手で地球を温暖化し、自然を破壊した結果、地球が疲弊しているのではないかと……。もっと自然に対しては謙虚であるべきだと思う。
ちなみに平成二十八年十月のある日、季節外れの暑さに『夏か秋かはっきりせい!』と書いている。
昔は多少の変動があっても、四季がはっきりしていてそれぞれに趣があった。この国で良かったと小さな幸せをかみしめていたのに……。
春 満開の桜に限りない生命を感じて
心はなやかになる。
夏 きらめく緑に生命の躍動を感じる
秋 燃える紅葉に生命の充実を覚える
冬 雪の中の新芽に強い生命の兆しを見る
四季の移ろいを感じて小さな喜びを持っていたのに……。
『光陰矢の如し』月日の過ぎるのは本当に早い。還暦で始めた十年日記。古希で丁度十年目。
『人間、本当の働きが出来る人生の花盛りは七十歳から』と、寂聴さんの言葉に意を強くして、今日も日記をつけ日々を紡いでいく。 この日記の十年目の浅い春の頃、私は初めて入院を経験した。夫も私が生身の人間であると実感したらしい。いよいよこの日記は年末で終わる。そこで夫に聞いた
「来年の日記は五年にしようかな。十年にしようかな」
「十年がいいよ」と間髪入れずにのたもうた。