かわち野

かわち野第五集

話す恐怖、話す歓喜

ふみ・あきら

 三十五歳の時の事、私は職場で安全委員をしていました。ある日、消防訓練が行われ、消火器を持って四十人程の社員を前にして使用方法を説明しようとしていた時です。言葉が出てこないで脂汗がにじみ出てきて「あの…その…」と、うろたえているうちに、消火栓のピンがはずれて、事もあろうに派遣されてきた消防署員の頭に消火液をぶっかけてしまったのです。
 人前でどんなに取り返しのつかない大きな失敗をし、恥をかいても人生は続いていきます。逃げる所もなく、何事もなかったように我が家では振る舞い、職場では朝がくれば、「オッス、オッス」の挨拶で仕事を始めなければならないのです。
 日曜日になり、行きつけの教会で 「来月の事ですが、聖書を読んでくれませんか」と係の方に声をかけられ、あっさり引き受けました。
 私が五歳の時に近所にどもりの子供が居て、その子の事を家に帰って「お母ちゃん、あの子、僕にひひひひろちゃんって言うねん」、と真似をしているうちに、その仲間になってしまいました。
 消火器事件の夜、幼い娘、息子の寝顔を見つめていると、将来、結婚式の父親の挨拶を「なんとかしなあかん」と考え込みました。
 どもりを直す方法として『声を上げて本を読む』。そんな専門家の言葉を思い出し、気にしながら眠りにつきました。その言葉が、「ちょっと苦手です」と何年も断り続けていた聖書朗読を承諾に導いたのだと思います。教会から帰宅し妻に「三週間後の日曜日に教会で聖書を読むことになったので、声を上げて練習を続けるから、よろしく」と、宣言をしてから二階に上がり、聖書を読み始めました。どもりは、人が居ないところでは、スラスラと声が出るが、人が聞いていると言葉が出にくいと言われますが、人が居なくても言葉がひっかかり、詰まり詰まりの大奮闘です。夕食まで五時間読み続け、少し声が出るようになってきました。翌日からは夕食後の四、五時間の朗読。
 継続は力なりで一週間も続けると、だんだんましに読めるようになってきました。しかし戸を開けて一階の妻に聞こえるようにと意識すると、とたんに声が詰まり出なくなったりして、どもりの不思議さを感じました。
 本番まで、一週間になった頃、繰り返し読んでいると二千字程度ですから夜、布団に入っても聖書の言葉が浮かんでくるほどになりました。しかし、急に不安が襲ってきて読んでいる途中に声が出なくなったりもしました。
 人々の前で声が止まってしまい、呆然と立ち竦む、そんな私の姿を思い浮かべると、涙が溢れてきました。成功と失敗、喜びと不安の日々が続き、本番前日の夜を迎えました。布団に入ってからも、もし言葉が出なかったらどうしようと再び不安がよぎります。一時がきても二時になっても眠れません。
 ふいに、素敵なことわざが見つかりました。
『万事を尽くして天命を待つ』
 その言葉が浮かんだ時に、「後はお任せします」と神様に話しかけると深い眠りに入れました。
 いよいよ朗読する日曜日がきました。三十人位の出席者のなか、儀式は進み、私は前に進み出て聖書台の前に立ちます。皆様の顔も一人一人、はっきりと見え、消防訓練の時の様な脂汗が滲むこともなく、いたって冷静でいられる自分に満足でした。ところが、いざ聖書を読もうとすると、始めの語句の『これらのこと』の『こ』の言葉が喉から出てきません。ほんとうに困ってしまいました。やっと『こ』が出ても後の言葉が途切れ途切れで、とにかく少しでも前へと言葉を押し出そうとしますが、詰まり詰まりの朗読でした。でも読みたかった、最後まで読ませて欲しかった。見るに見かねて、私を助けてあげようと、どなたかが自発的に聖書台に立たれることを恐れていました。私の為を思うならこのまま読み終えるまで見守って欲しい。そんな願いで朗読していると真正面の、上の方から、なにかの視線を感じました。その時に、私の心に描かれたのは、十字架に架けられているイエス様の姿でした。「ああっ」と叫び声を押さえて見上げるとイエス様が私を見つめてくださっているのです。その優しいまなざしが、私に語りかけています。
「人々の苦しみ、あなたの悲しみは十字架と共に私が背負います」
 その時、私はイエス様に守られている喜びが溢れてきて、もし人々の目が無ければ、その場にひざまづきたい気持ちでいっぱいでした。与えられた箇所は最後まで読み終えました。その恵みの日から、朗読が私の趣味になり、壇上での聖書朗読を気軽に引き受けるようになりました。うまく読めるときも、躓きもありましたが、人前で声を出せる喜びを味わっていました。
 子供達の結婚式の挨拶ですが、娘の結婚式は嫁の父親の挨拶が無かったので、がっかりでした。
 息子の結婚式は挨拶の出番がきました。
 チャンス到来です。
 式の中で新郎新婦のキスの場面があったので、ビックリ仰天してしまって、何度も練習してきた挨拶の原稿を没にし、ぶっつけ本番に切り替えました。
 うけたところを紹介します。
「この頃の結婚式はいいですね。百人もの皆様に見守られて、愛の証のキスが出来るなんて。もう一度、妻と式を挙げたいです。結婚すれば、夜がきても、お互いがサヨナラをしなくてもいい夢が実現するのですね。その願いをいつまでも忘れないで欲しい」
 拍手喝采が起こり、めでたし、めでたし。言葉が調子よくスムーズに出てきたことよりも、恐れないで、立ち向かい、新郎新婦に祝福が充分に伝わったことに感謝感激でした。