かわち野第七集
成人式とする
坂下 啓子
私に二十歳の三月、縁談話が持ち上がった。
「えーっ。なんで私に?」
突然の事で、頭の整理がつかない。相手は遠縁の人(祖父の従兄の息子)で私も二、三回は会った事がある。そう言えば二ヶ月位前、仕事で京都に来て我が家に立ち寄った。
彼は長崎で薬大を出てE製薬会社に勤め、年齢は三十六歳。仕事も順調で楽しく、この前、昇進したらしい。京都には大学の先生や医者の接待で料亭や花街をよく利用していると話していた。その時、祖父はもう他界していて
「伯父さんが生きてられたら、色々案内してもらえたのに」
と残念そうに言った。名は「拓蔵」と言い、皆から「拓ちゃん」と呼ばれていた。
母は拓ちゃんの事が大層お気に入りで、彼の話になると顔が華やいだ。縁談話が彼なので、もう喜んでころこんだ。私は嫌な感じの人ではないが、余りに母が喜んでいるのを見て何となく気持ちが引いた。考えてみたら年齢は十六歳も離れているし、社会人になって、何年も経っている人と、多分話もあわないだろうと思った。しかし母は、この話を何とかまとめたいと色めき立った。考えると母の方が年齢が近い。それで私は、
「自分が結婚したいのと違うの」
と言ってやった。
もう一つ、気がかりなのはその人の母親とおじいちゃんが訳ありだった事だ。両親とも、そんなことすっかり忘れたかのように何も言わない。
拓ちゃんも母に気に入られているのを分かっているのか、私と母を祇園の料亭『唐船』に、招待してくれた。何度か利用しているらしく六角形のカウンターのなかの料理人と親しげに話す。天婦羅のコースで色々な材料を目の前で揚げて次々と出してくれる。驚いたのが最後にアイスクリームの天婦羅が出た。母は感激して、誰にあっても『アイスクリームの天婦羅』の話をした。
私にも
「啓子、あんたの気に入ってる須磨の家に住めるのやで。拓ちゃんやったら美味しいもん色々食べに連れてくれるわ」
と言う。
確かに須磨の家は小さい時からの憧れで、親戚の中で応接間がある洋風の家はこの家しか知らない。しかし結婚をそんなことで決めるわけにはいかない。二十歳になればそれ位の判断はできる。その人には姉が二人いて、一人は嫁いでいるが、五歳上の姉が経理事務をして働いている。姑、小姑がいるのだ。
そんな私の心配もよそに話が進んでいく。彼は今東京で働いているので案内したいと言ってきた。
両親とももう決まったことの様に、
「一度行ってこい」
と口を揃えて言う。私は決心が付かない。それで私は、親友と後に夫になる仲の良かった男性に相談した。(この二人とはグループで何回か山登りしていた)
「東京に行ったら決まりやな」
と彼は冷たく言った。好感は持ってはいたがまだ学生だし先の事はサッパリ分からない。まして結婚なんて考えられない。それに年のわりにはかなり幼稚だった。彼と比べたら拓ちゃんは大人だ。私はかなり悩んだ末、行くだけ行こうと決心した。
新幹線を降りると、ブルーのセーターを着た拓ちゃんは、さわやかに手を振った。私は不安と期待が交差しながらもこの人と結婚するのが決められた運命の様な気がした。ホテルに案内してもらい夕食まで一人で過ごした。夕方タクシーで迎えに来て六本木の高級鉄板焼き『瀬里奈』に連れてもらった。男性用メニューと女性用メニューが分かれていて女性用には金額が書いていない。私はこういう所は初めてだ。かなり高級な店だなと思った。しかし、
「どんな場末の店でも高級な店でも堂々としてや」
と、亡くなったおじいちゃんが言っていたのを思い出した。私は生意気にもこんな所、何時も行きつけてるみたいな顔をして、鮑や神戸牛を遠慮なく食べた。そこに、五、六人の客がガヤガヤと入って来た。見るとテレビによく出ている『伊東ゆかり』ではないか。初めて実物を見た。それから何故か急に緊張してきた。胸がドキドキして何を話しているのか上の空。
次にバーに行こうという。青山あたりのビルの地下を降りて素敵な雰囲気のバーで美しい色のカクテルを三盃お代わりしてしまった。後ろで女性が大きな声で騒いでいるので振り返ると、思わず椅子から転げ落ちそうになった。な・な・なんと、確か皇太子(今の上皇)の妹、島津貴子様ではないか。
「ダメじゃーん。君たちしっかりしてよ」
大きな笑い声と共に聞こえてくる。
「貴子さんやわ。見て見て」
と興奮して言った。
「よく来られるらしいよ」
と言う。暫くすると、お婿さんの島津久永氏が迎えに来られた。貴子様は、
「またね~」
と言って帰って行かれる。
(うっそー)私は皇室のお姫様は上品な言葉使いで静かに話されるとばかり思っていたので驚いた。ぜーんぜん普通。流石に東京は会う人が違う。
彼はホテルまで送ってくれると言うので、タクシーに乗った。小石川あたりを通った時、
「僕のマンション見ていく?」
と言う。 私はたった二人の有名人にあっただけで東京に憧れてしまったのかもしれない。それでつい、
「見るだけね」
と言ってしまった。部屋の前まで行くと、誰か立っている。ダスターコートを着たロングヘア―の女性だ。拓ちゃんは急にその人に
「何なんだ」
と言うなり険しい顔をして肩を押した。私は足が竦みその場で立ち往生してしまったが、事情を素早く察し、その場から走り去った。急いでタクシーを拾いホテルに戻ると、すぐに京都に電話をして、この事態を話した。
「明日直ぐ帰れ」
と父は怒鳴った。明朝、東京駅の新幹線乗り場に行くと、何時から待っていたのか拓ちゃんはお土産を一杯抱えて立っていた。私はサヨウナラとだけ言って品物は受け取り、京都に帰った。
後日談だが、四、五年して拓ちゃんから結婚式の招待状が届いた。
「なんでやねん」
と両親は言い、断わるつもりだったが、伯母さんから大事な親戚だからどうしても出て欲しと懇願され、いつまでも拘るのもと思ったのかどうかは知らないが父だけ出席した。相手の人は元祇園の芸子さんだつた。
伯母さんは以前から父を頼りにしていて
「拓のアホが……」
と泣いたそうだ。
「さすが芸子やわ。自分で率先して皆に酒次いで廻りよんねん」
と父は言い、母は、
「あんた嫁がんで良かったわ。苦労してたわ」
と平気でのたまう。
私はこれで拓ちゃんは納まる所に納まり、『一件落着』だと思った。
これは私の忘れられない成人式となった。
何十年後に知ったが、拓ちゃんはE製薬で重役になったと聞いた。 完